娘に手紙をもらって
翌日ブログに書いて
連日娘モードだったので
(どんなモード?)
昨日から出かけてきていたニセコで
娘のことを思いました。
別に感傷的だったとか
そんなことはまったくなくてね。
散歩しながら入った
ホテルのチャペルには
誰もいなくてとっても静かで
一番後ろにあるソファベンチが
ぼけらーっとするには最適で
私、ぼけらーっとするのが
かなり得意なので
そこに座ってぼけらーっとしていました。
(ぼけらー、しつこい)
まあ、それでも
少しは思考は働くもので
娘がウェディングドレスを着て
あそこに立ったらどんな感じかしらね?と
ドレス姿を想像した次の瞬間
彼女がくるっと振り返って
私に大きくあっかんべーをしてきました。
いや、ちょっと
むかつくわ!!💢
いかにも娘がやりそうなことなので
笑ってしまいました。
チャペルに続く通路
何かを見聞きして
彼女なら
こう言うだろうなとか
こんな反応するだろうなとか
そんなことを考えることは
たまにありますが
(何度も書きますが、感傷的ではなく、誰もが「あ、あの人これ好きそう」などと、ふと思い浮かぶようなそういう感覚です)
今回のように
あまりに明確に
表情まではっきりわかるほどの反応に関しては
(たとえば、このときのお風呂での言葉のような)
きっと本人が
私たちと同時に存在する別次元から
そのように言っていたり
伝えてきているのだろうと
勝手に信じています。
世界は自分が認識していること
信じていることでできているから
自分で信じていれば
それでいい。
いつも一緒にいられて
なんの心配もない
ときどきこうして
存在を確認できる
笑わせてもらうことだってある
そして
護られているからありがたい
そう確信しています。
通路の手前に山ごぼうとドウダンツツジが生けてありました。この雰囲気すごく好きだわ。
でもね
私がどれだけ
感傷的ではないと書いても
これを読んで
悲しくなる人はいます。
なぜ悲しくなるのか?
その人がここに書かれていることを
「悲しいこと」だと認識しているから。
それぞれ違う
自分の認識や見方があって
それぞれの世界ができているから。
その世界に良し悪しはなく
ただ、それぞれの人が持つ、それぞれの世界。
なので
もし悲しいと感じた方がいらしたら
心を寄せてくれるお気持ちに感謝します。
ありがとうございます。
花瓶の中に通路が透けて見えてきれい。
この花や花瓶のように
同じ場所にいて
同じ景色を見ながら
どこに着目するか?は
人生を認識するのと同じなんだと思う。
誰もが見てる世界が違うと思えば
それぞれの違いを認め合って
あれもこれもそれもなんでも!! いいよね、と言い合える。
そんな社会になればいいなあ。
・・・あっかんべーから
話が飛躍しましたな。




