一昨日
ピキッとなった腰
その痛みの感覚から
これは結構まずいかも?と
一瞬頭をよぎったけれど
揉んだりほぐしたりも含めて
自分でできることを
いろいろ手を尽くして
悪化しないで済んでいます。
今日は通常の8割5分くらいに回復している感。
(8割でも9割でもない、8割5分がなんだかちょうどいい=まだちょっと痛い)
水に挿した緑がね、全然衰えず元気なんです
腰痛から思考がぶわーっと広がる
内省傾向の強い私ですが
「自分の痛みや苦しみは、自分で作り出している」
ことについて考えていました。
そうではないことも多くあるのでしょうが、今回は腰痛から派生した考えとして書いています
先日のブログでは
腰を痛めたことについて
思い当たる節はいくつもあり
一番大きいのは寝不足なので
と書きました。
その「思い当たる節=原因」を
一言で表せば寝不足だけど
では、なぜ
その寝不足が生まれたのか?
寝不足になるための行動
その行動をした理由
その理由の元になった思考、心模様
それらが積み重なった「結果」
寝不足という「原因」が生まれ
寝不足という「原因」から
腰痛という「結果」が作り出されている。
この先
適切な治療や対処をしないまま
腰痛を無視して突っ走れば
その腰痛が「原因」となって
更なる痛みや症状という「結果」を作り出すだろうし
腰痛がなぜ起こったのか
諸々遡ってその元を探り、修正し、治療し、今後の防止策まで考えれば
その腰痛が「原因」となって
新たな「結果」を手に入れることができる。
良いことも
そうではないと思われることも
ものごとは
自分が作り出した
「原因」と「結果」を延々と繰り返している。
だから、その原因と結果を
どう見るか、どう捉えるかによって
中身(=人生)は、いかようにも変化するんだなあと
結局はいつもの
「見方次第」という話に帰結するんだけど。
緑を他の場所に移して、いったんすっきりさせました(窓の外は隣家が工事中)
じゃあ、その「原因」を
どこまで探るのか?
どこまで辿れば気づくのか?
単に目の前にある事象だけを
対処、理解するだけでなく
自分の深いところへ潜っていき
気がつくことも時には必要だと思うのです。
緑の代わりに野ばらの枝、赤い実が少なくてわびさびーー
これは片づけでも同じことで
目の前が散らかっているからといって
それらが無くなれば
その悩みが解決するわけでもない
その散らかった原因
その原因を作り出した行動、思考など
根っこの深い部分を掘り下げて
自分自身で気がつくことで
解決への道筋が見えてくる。
根っこの部分が変わらなければ
そこから生まれる「原因」と「結果」は
何度も同じことを繰り返す。
掘り下げるのは
時にしんどい作業だけど
しんどすぎて壊れないよう、適切にできたらいい。
私が思う適切は
客観、俯瞰で事実を見て
感情をそこに追加しない。
(過去の処理として必要な時は思いきり爆発させるのもよし)
難しいかもしれないけれど
それが私の目指すところならば
そう在るしかないから。
なにかが起こったとき
その原因と結果を
どこに委ねるのでもなく
自分で選んだと言うために。
腰痛から始まった話が長くなりましたな。
野ばらは「一本ください」って言ったんだけど、枝ぶりを選んでいるうちに2本選んだことになってしまったので、私の部屋もおめかし。伝わらなかった結果が2本の枝。料金も2本分。これを失敗や損と見るか、2本あって良かったなと捉えるか。
野ばらといえば、トゥルリラ、トゥルリラー♫





