去年の今日は

絶対の自信を持って

雲海テラスに行っていたと

アメブロが教えてくれました。

 

そこから1年

今年は家でゆっくりしています。

 

 

 

 

 

2017年7月4日から

4年が経ちました。

 

毎年書いてるかもしれないけれど

早いなと思うし

まだそんなものかとも思う。

 

今年は「まだ」の気持ちが強いかな。

 

もっと昔のことのような

ずいぶん前のことのような気がするのは

 

時間の感覚はその時々によって変わるから。

 

 

ひとつ思うのは

あと何年生きるかわからないけれど

また会える日が着々と近づいてきているんだなということ。

 

え?早まらないでね?と

曲解してほしくはないのですが

(だって毎日楽しいし)

 

いつかのその日が、楽しみなんです。

 

 

 

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「時間」「時」という言葉を考えると、思い出すことがあります。

 

中学生だったから、いまから40年ほど前のこと。

なんの話からそうなったのかは忘れたけれど、国語の先生が

 

「宇宙はここにある」

 

と思うんだと言って、手のひらの親指のふくらみのあたりを差したんです(調べてみたら、このふくらみは母指球というのですね)。

 

そのときの私には意味が全然わかりませんでした。

仲のいい友だちが「自分はわかる気がする」と言っていたこと、そういうのがわかる感性っていいなと思ったことも覚えています。

 

私は「あんた思い出少ないよねー」って幼なじみに笑われるくらい、本当に忘れっぽいので、こんな昔のことを覚えているのはめずらしい。

 

いまになって、その言葉をかみしめるために覚えていたのかしら、なんて思ったり、思わなかったり。

 

 

 

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この4年間、自分の中に取り入れてきたさまざまが、この言葉に集約されている気がします。

 

この場合の宇宙とは、大気圏の外とか惑星などという宇宙空間のことではなく、森羅万象全てを含む世界を意味するのですが

 

母指球であろうと、身体のほかの一部であろうと、なんなら自分の身体から離れていても、

どこでもよくて

 

無限の宇宙というのは、その指が差した先にある「点」なのだろうと思うようになりました。

 

 

 

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文系でも理数系でもなく感覚系で生きてきて(いや、そんな系ないけど)

数学は苦手、物理は学んだことがない、理論で説明はつけられないし、抽象的な表現しかできないけれど

 

人間の理解をはるかに超えたこの世の理があるんじゃないかなと。

 

 

その指の先にある目に見えない「点」のなかに全てが存在する。

私たちを含め、いま私たちが経験している過去現在未来という時間などの概念、過去に生きた人たち、現在を生きる人たち、未来に生まれてくるだろう人たち、見えないもの、知らないこと、あらゆるもの全てが「点」に同時に存在する。

 

 

「時間」は流れていない

概念として存在するのみ。

 

「いまここ」という「点」しかない

 

「いまここ」は

次の瞬間には過去という記憶になっていく。

 

過去=記憶は私たちの脳内では新旧があっても、無限の宇宙の中では点に包括される、すべて同時に起こっている。

 

 

知覚することができない、無限に広がる多次元の世界=宇宙が「点」としてあって、すべてが同時に存在する宇宙という「点」の一部で私たちは生きている。今生という「限られた時間」を刻みながら。

 

矛盾してる?

私の中ではしてないんだけど。

 

・・・と、書くほどにだんだん怪しい人になってきましたか?いつまでも書いてしまいそうなので、このへんにしておこうかしら。

 

 

 

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こういう実証できないことを書くと、怪しいなどと言われることもあるようですが、まあ、怪しいとか胡散臭いなら、それでいいんです。

 

人生観・死生観・宇宙観として自分の中心に据え置いていることであり、この考えを誰に押しつけるわけでもない。正誤は関係ないし、誰かと違う意見だとしても、それはそれ、これはこれ。

 

過去も未来もそこに存在していた人も、なにもかもが存在しているから、私はすべてを受容して、いま笑っていられるんです。 

 

何かが起きて、また心が揺れることがあったとしても、柔らかくしなりながら回復するための、自分の芯になる道標です。

 

 

 

決めて、生まれてきたから。

 

すべてはひとつの「点」で全部繋がっているけれど、中でも結ばれた縁をしっかり繋いで、今生がある。娘とも繋がっているし、夫とも繋がってる。母とも父とも兄とも、これまでの人生でほんのわずかでも出会ったり触れ合ったり、好きとか苦手とか関係なく、大勢の人たちとチームを組んで「点」のなかで何回も生まれて死んで、また生まれていく。

 

 

 

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付け加えれば、「点」は「空」であり

すべてあって、何もない。きっと。

 

 

 

悲しくなることは

ほとんど無いくらいに

きげんよく暮らしています。

 

けれど、ごく稀に

ふいに思い出す

あのときの思い

 

それは仕方のないこと。

 

感情を味わうことは

生きているということ。

 

 

 

 

悲しみは

無かったことにはできないけれど

 

悲しみがあっても

笑って生きていくことも

 

悲しみを

生きる力に変えていくこともできる。

 

そして反対に

悲しみを

「一生背負って」いくこともできてしまう。

 

 

悲しみやその他の事象を

どう捉えて意味づけるのかは

自分の選択であり

 

その選択によって

得られる経験は変化し、毎日が、人生がつくられていく。

 

 

 

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大切な家族が先に旅立たれた方から、連絡をいただきます。そのご家族の方と娘が縁を繋いでくれているといつも思っています。いかがお過ごしでしょうか。

 

 

どうか、世界中の人たちが

悲しみはあれども心穏やかに

笑顔とともに過ごせる

光あふれる平和な毎日でありますように、心からお祈りしています。

 

 

いつもありがとうございます。

 

2021年7月4日

岩崎 梢