阪神淡路大震災の発生から昨日で26年。

 

 

私は大阪府下でも被害が大きかった豊中市に住んでいたので、それはもう、めっちゃ揺れました。

 

飛び起きて自分の部屋を出ると、本棚の本、食器棚の食器、あらゆるものが散乱し、父親の『みんな大丈夫か?』という声がして、飼っていた柴犬が吠えまくっていました。


 

そして、どんどん燃え広がる神戸の街、どんどん増える死者の数など、テレビから流れてくる衝撃的な映像に、

 


『あの人は大丈夫かな』

 

『あの子、実家が神戸じゃなかったっけ』

 


など、時間がたつにつれて不安が押し寄せてきたことを覚えています。




院長は震災当時、揺れに気づいて当時お付き合いしていた彼女の家に電話をかけたそうです。


するとあちらのお母様に、『なんですか!こんな朝早くに電話してこないで!!』と怒られたとか。


場所によっては揺れが小さくて気づかなかった人もいましたし、携帯電話もまだみんながみんな持っているわけではなかったですしね。



ちなみに院長は震災から約1ヶ月後に、神戸に支援物資を持っていったそうです。





家族ができて守るべき存在ができた今、より一層防災について考えるようになりました。


3月には東日本大震災から10年を迎えます。


今一度、避難場所や非常持ち出し袋などについて家族で話し合いたいです。