Human kill human -2ページ目

「おい!ふざけるな!」



横浜は雨の予報が変わって薄曇り。僕が曇りを嫌う理由は立体感がないことなのだけど、ちょうどブルース・ギルテンの事を思い出し横浜をフラッシュをつけてスナップしてきた。たまにはみなとみらいの変わり様も見ないと行けないし寿に行きたかったのもある。黄金町から関内方面へ歩く。EOSのDSLRにフラッシュはギルテンのライカよりも威圧感があるかもしれないけどそんな事はおかまいなしに通行人をフラッシュ!多分寿かそこらの青色テントの方だとは思うけど上の写真の様に顔を隠されてしまった。当然僕が悪いのだけど。

「おい、ふざけるな!バカヤロー!」

僕は会釈するぐらいしかなかった。その後も罵声ををかなりくらった。やはりギルテンはクレイジーだなと思うも、しかしてスナップという行為は大抵路上で相手に気づかないように撮るのが普通だが、フラッシュを発光させ撮影行為をこれまでかというぐらい主張して撮る事のほうがよりスナップの本質を得ている気がする。所詮赤の他人の素顔をさらけ出させるのだから、人物をターゲットに不快感の伴わないスナップなんて逆におかしいのではないかと感じたのだ。ゆえにクレイジーだと思っていたギルテンの撮り方だけどさすがだなぁと一人路上で感心していた。やはり何事も理解するなら考えてないでやってみろということなんですね。いざ真似てみるとあの距離感が尋常でない事がすぐわかる。別に真似ようという訳でないのでそんな至近距離やっていくかわからないけど、なにかスナップで新しい手応えが掴めた様な気がした。

ちなみにギルテンの撮影風景がTouTubeにのっている。ラジオで彼が発言している内容を聞くと(英語なんで半分適当だけど)、あまりに近距離からの撮影方法に対して接近している訳だからあーだこーだいわれても困る、望遠ならまだしも、というような事を言っていた。英語に堪能な人訳してくれたら助かります!



スナップ



スナップ写真は暴力であって良い、そう考えたりする。スナップというもの自体が暴力性を持っているのか、それとも付随するモノであるかは定かではないけど、きれいごと言っても暴力性のないスナップ写真に面白いものはない。暴力って言うのは他人の一瞬を強引に暴いてやろうとか、撮られる側への配慮である。もちろん配慮は必要だ、しかし時にそういう配慮が作品を邪魔する。そういうスタンスになりきれてこそ説得力のある写真が生まれるのではにないかともおもう。

マグナムにブルース・ギルデンという写真家がいてこの人がものすごい。こんな撮り方やったら撮られた方に殺されても仕方ないんじゃないかという感じだ。いきなり真正面に飛び出し多分21ミリ付きのM5なんだけど、そいつを右手に左手には小型ストロボをシンクロさせて撮る。50センチ離れているのかどうなのか。マグナムのページの彼に関するストリーミングがある。YouTubeに彼の撮影風景を写した動画があるのだが、撮ろうとした男性が笑顔をみせると
Don't smile! No! Walk! Walk!
ですからね。僕もこんなやつが目の前に出てきたらぶんなぐりますよ。w

ヒューマニズム

何故写真を撮るのか?分からない、ただ撮らなくてはいけない。こんな文句はそのばしのぎの言葉で、その質問自体に日々葛藤しているのに答えられるはずもない。僕はネイチャーでも鉄でもないスナップ系だからヒューマニズムて言葉がぴったしだろう。でも違う。写真で世界を変えられる、そう思っていた。しかし今はそう思わない。単純に写真の持つジャーナリズムの力が弱くなったこともあるし、世界が変わろうとそんな大きな事どうでもよいことだ。湾岸戦争、貿易センタービルをたまたまビデオがとらえたという事実。

今考えられる最下層のエリアで行動しているが記録することしかできない。それでなんなのさ。何を与える。報道写真家の石川文洋さんとお茶した時に話してくださったヒューマニズム。もう少し考える必要があるのかもしれない。結論はまだでない。でやしない。ビックイシューも毎回買って考える。写真は感覚でなく思考の上にあるものだから考えなくては意味がない。