岩を押す仕事
転載元 サイババが帰って来るよ さん
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ポニョ:自分に降りかかる全ての事は良い事だと悟るって、とても難しいよな。
ヨシオ:この世界は愛の神様が自らの意志の力で創造されたから、俺たちも、何を見ても聞いてもポジティブに見て行けば何の悪いことも降りかからない。一見悪いように見えていることでさえ、この世界で起こっている全てのことは良い事なんや。
実は自分が体験する全ての事は、自分自身の反響、反応、反映なんや。だから自分自身に降りかかる全ての事は良い事なんやと信じれば、自分には良い事しか起こらない。何れにしても自分はこの肉体じゃないからな。
ポニョ:そういや、ババは面白い話をされていたな。大臣が王様にこの世で起こる全てのことは良い事ですと言ってたんや。でもある日、王さんは砂糖黍をナイフで剥いていた時に指を切ったんや。それを見ていた大臣が、実は指を切られたことも良い事ですと言ったもんやから、王さんは怒ってしまって大臣を牢屋にぶち込んだんや。それでもまだその大臣は牢屋に入れて嬉しいな。これは僕にとって良い事やなんて嬉しそうに言ってたんや。やがて王様は一人で森に入り鹿狩りに出掛けたんや。
でも、森の部族に捉えられ森の神様に生贄にされる事になり、その儀式が始まったんや。王様は私はこの森を支配している国の王だぞと言っても森の部族は、それなら尚更好都合や。森の神様に捧げるのに不足はない、なんて言ってたんや。そしてその生贄を捧げる儀式が進んで行くうちに、それを執り行っていた僧侶が王様が指に包帯を巻いている事に気付いたんや。それでその包帯を取ると傷が見えたので、このような身体に傷を負っている者は、生贄に値しない。森の神は喜ばないし、受け入れないと宣言して王様を釈放したんや。王様は急いで牢屋にいる大臣の下へ行き、あなたが言った通りでした。
この世で見たり聞いたり体験したりすることは、実は全てが良い事なんやとよく分かりました。私が間違っていました。と言って許しを乞うたんや。でも、まだ一つ分からないことがあります。どうしてあなたが私に牢屋にぶち込まれたのに、それはあなたにとって良いことなんでしょうか?と聞くと大臣は、それはもし私が牢屋にぶち込まれていなかったら、私はあなたのお供をして森に入り、森の部族があなたの指を見て生贄に出来ないと分かったら代わりに私を生贄にして殺したでしょうね。と言ったんや。
ヨシオ:こんな話もあったな。大きな岩が目の前にある家に住んでる人がいて、神さんに何か仕事を下さいと頼んだんや。すると、神さんがその人の夢に現れて、君、どんな仕事でもやる気かい?それじゃ君には先ず次の仕事をやってもらおうと言って、家の前にある岩を押すように言ったんや。その人は常日頃から目の前の岩が邪魔やと思っていたので、神様が自分に力を授けて下さってその岩を動かされると思い毎日渾身の力を振り絞って岩を押していたんやけど、岩は一ミリも動かなかったんや。近所の人はその人を小馬鹿にして、冗談を言ったりしてたんや。その人もどうしてこれが神の仕事かさっぱり分からなくなって来たので、神さんに聞いたんや。
神様これがどうしてあなたが私にお与え下さった仕事なんでしょうか?いくら渾身の力を込めて押してもピクリとも動きませんがと言うと、神様はこう答えたんや。間抜けな奴じゃ。私はお前に岩を押せと言っただけで動かせとは一言も言っとらん。さあもうこれで充分じゃろう。これから次の仕事を与えるからよく聞くのじゃ。今までのは、お前に筋肉を付けさすための単なるトレーニングじゃったのだよ。と。
ポニョ:そうやったんか。岩だけ押していても意味が無いもんな。でも、人ってこうして見たら、いつも近視眼的に生きてるんやて分かるぜよ。神さんはその人のカルマや過去生や未来も見えているので一見神さんがやられたり、話されたりする事が不可解なこともあるけど、本当は全てを愛でやっておられるから、全てを受け入れなくてはいけないねんけどな。でも簡単では無いぜよ。
ヨシオ:こんな話も聞いたことがある。ポニョはインド人の結婚式に出たことがあるか。
ポニョ:いやまだ残念ながらないぜよ。一度出てみたいな。何日間も食い放題で王様みたいに座って余興のダンスやらコンサートを聞けるんやろ?
ヨシオ:とにかく準備が大変みたいやな。それに一生一度やから、そのために花嫁側の人も持参金を貯めたりして親がとても苦労するんや。でもプッタパルティでババがされる結婚式はもっと簡素やけどな。昔のマンディールを会場に使ってやるんや。以前、アシュラムのお世話をされていた息子さんが結婚式をする事になって、食事などいろんな準備をされていたんや。やがて花嫁も到着し、いよいよ明日結婚式という時にババが来られてお父さんに明日の息子さんの結婚式は取りやめなさい。
キャンセルしなさい。と言われたんや。お父さんは100%ババに帰依されているから、花嫁側にそう伝えたんや。花嫁の両親はもちろんとても激昂されて、お父さんを始め、お父さんの家族や帰依しているババまでを罵ったんや。そういう怒りをお父さんは一身で受け止めて、ただただ深く頭を下げて謝っておられたんや。結婚式当日になるはずだった次の日、息子さんは蛇に咬まれて急死したんや。その訃報を聞きつけて、アシュラムに来ていた花嫁の家族たちは一斉にお父さんの下へ駆けつけ、自分たちが今まで罵ってきたことを深く後悔し、お父さんの足にひれ伏して謝ったんや。
何であれ、神のすることは世界の幸せのためなのです。
皆さんは、世界は神の姿そのものであることを理解しなければなりません。
創造主と被造物とは別々のものではありません。
人は、世俗的な欲望を満たすために神を礼拝すべきではありません。
私たちは、神に到達するために神に祈るべきです。
神は帰依者に恩寵を注ぎ、必要なものはすべて与えてくれます。
被造物にとって、何が役に立つかを知っているのは神のみです。
あなたが必要とするものは、時が満ちたときにすべて神が与えてくれます。
あなたが過度の努力をしなくても、神はあなたにふさわしいものを与えてくれます。
欲望が満たされないときに、落胆して神を責めるのは、真の帰依者の特質ではありません。
神の恩寵を得る方法を見つけて、神に到達する努力をするのが、帰依者の義務です。
神のやり方を理解することは、誰にもできません。
神の計画を理解したり説明したりできる人はどこにもいません。
神の計画を知って、それを明らかにできるのは神のみです。
神がいつ特定の個人に恩寵を注ぐかは、誰にも予測できません。
「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何のために」、「どのように」といった疑問に対する答えを知っているのは、神のみです。
神を忘れて、エゴや自分がしているという意識を持てば、その人の努力は成功しません。
どんなことであれ、祈りによって達成することができます。
~ あなたは、どんな仕事に携わってもかまいませんが、その仕事の達成を神に祈ってはなりません。
その代わり、すべてを神の意思に委ねなさい。
神は、あなたにとってよいことをしてくれるのだと、完全に信じていなさい。
「神様、人生の一瞬一瞬において、私たちの必要を満たしてください」と神に祈りなさい。
あなたがすべてを神の意思に委ねて自分の義務を果たすとき、間違いなく仕事は成功するでしょう。
しかし、スワミの意志は、何の促しも計画もなく、ちょうどよいときに形となって現れます。
何であれ、スワミが必要とするものは、頼まなくてもおのずとやって来ます。
しかし、ここでもうひとつはっきり言っておきたいことがあります。
それは、頼まなくてもものごとがおのずと整うとき、他の人々にも役に立つようなやり方で、その状況を活用すべきだということです。
スワミは、何ひとつ欲しいと思いません!
スワミの望みはただひとつ、皆さんがこの機会を最大限に活かして、皆さんの人生を、幸せで、神聖なやり方で過ごすようになってほしいということです。
皆さんは私のためには何一つ与える必要はありません。
スワミはいつでも、皆さんの望みをかなえる準備ができています。
しかし、皆さんの望みを口に出す前に、自分が本当にそれを受け取る資格があるかどうかを自問しなければなりません。どんな大きな仕事でも、祈りによって成し遂げることができます。
ですから、心の中で神に祈りなさい。
ちっぽけな欲望を満たすために祈ってはなりません。
すべての欲望を手放して、愛を込めて心から神に祈りなさい。
そうすれば必ず人生は満たされたものになります。
愛を通 して初めて、神を理解し、神を経験することができます。
中には、「スワミ、私たちが絶えず祈り続けても神は助けに来てくれません」と文句を言う人があります。
私は彼らに「間違っているのは神ではなく、あなたの祈りです」と言います。
あなたの祈りが誠実なものであれば、その祈りは必ずかなえられます。
神には、できないことは何もありません。
スワミの愛は力です。
愛よりも偉大なものはありません。
あなたが愛を培えば、人生の課題に容易に取り組むことができ、勝利を収めることができるでしょう。
神の愛は常に皆さんと共にあります。
神の愛は、皆さんの中にも、周囲にもあって、皆さんの面 倒を見てくれます。
どれほど大きな仕事でも、祈りによって成し遂げることができます。
しかし、皆さんの祈りは、真心の込もったものでなければなりません。
思いと言葉と行動が一つでなければなりません。
スワミが皆さんの内にいて、いつも皆さんの祈りに耳を傾けているのだということを、固く信じなさい。
もし皆さんが、スワミは自分の外にいると考えるのであれば、皆さんの祈りはどうやってスワミに届くのでしょうか?25/12/04
お祈りの場を設けて、そこで少なくとも一日二回、短い時間でいいのでお祈りをしなさい。
それが、霊へのエネルギーの注入となります。SSSvol2p175