苦しみは自分からのプレゼントだよ
19/01/14
転載元 サイババが帰って来るよ さん
ポニョ:このブログもいよいよ最後の段階に入って来たぜよ。
ヨシオ:そうやな。四月まで…か?多分俺はいないやろな。最初、このブログを始める時に五つの目的を決めていたな。
ポニョ:一つ目は、サイババさんが霊体を物質化して、同じサティア サイババの身体で帰って来られる事をお知らせすること。
ヨシオ:霊体を物質化するので、肉体の持っている制限に活動を邪魔されずにすむんや。
ポニョ:神の力をフルに顕現さすことが出来るんってことやぜよ。飯も食わなくてもええし、休憩しなくてもええし、最も大きな利点は空に現れたり、多数の身体を取られたり、山脈を持ち上げられたり、おいら達が畏敬の念を持てる様な奇跡を肉体に付随している霊体の制限無しに、出来ることやぜよ。
ヨシオ:この事は、ババの若かりし頃の伝記シリーズの中で何度も例をあげて説明したよな。それで、二番目は今、人類が地球環境を破壊し好き放題、地球の資源を収奪しているし、生き物たちを商品扱いし、同じ宇宙船地球号の乗組員として扱っていない。
ポニョ:また、支配層の連中が戦争を起こし、人口をわざと減らそうとして、人間羊牧場を作るため、モラルを落として不正義を働き、暴力やワクチンの強制接種、医療ビジネス、食品に毒を混ぜるなどをしてダルマを破壊しようとしているツケがやって来るよ、ということを警告する事。そして、第三番目はババの栄光や神の不思議な御技を紹介すること。
ヨシオ:四番目はババの愛をいろんなエピソードを交えてご紹介する事。そして最後がその教えのエッセンスを紹介する事やったな。
ポニョ:一番目から四番目までは、もうほとんど終わったし、五番目だけがまだやりかけやぜよ。特に二番目は、Qアノン情報を御紹介して、たくさんの方が読んで下さったし。
ヨシオ:最近、絵描きシリーズで3回ほどババの教えを記事にしたけれど、教えの部分が一番難しいな。
ポニョ:ヴェーダの不二一元の教えを、誰にでも分かる言葉で教えられるのは、ババしか出来ないよな。それで、今日から、記事が堅苦しくなりますがババの教えの部分に入って行きたいと思います。
ヨシオ:それで、このブログの役割は終わりです。
ポニョ:このブログを始めて丸六年になるぜよ。
ヨシオ:早いもんやな。棺桶にまた一歩近付いた。というわけで、早速始めよか。
ポニョ:絵描きシリーズで三つの世界について説明してくれていたけど、それと神への愛、そして帰依について掘り下げて行こか。
ヨシオ:この物資の世界に俺たちは住んでいるんやけど、それ以外に世界があるって言ってもそれは目に見えないから理解することはとても難しいな。
ポニョ:この世界は神さんがキャンパスに絵を描かれた様なものやから、色んな苦しいことがあって、耐えられなかったら神さんに全てをお任せして神さんの手の中に飛び込んで行けば、二次元の世界から三次元の世界に行くようなものやって言ってたよな。そして一旦、その苦しみを神さんに捧げたら、神さんが全ての面倒見てくれるって言ってたな。
ヨシオ:苦しみも悲しみも、そして楽しみも喜びも全ては神さんからのプレゼントなんや。人が苦しんでいる時は、実はその苦しみ痛み、悲しみという神さんからのプレゼントをもらって包装紙を破って開けて中身を箱から取り出し、それを手に取って泣いているんや。そのプレゼントがその人にとって苦しみや悲しみをもたらそうと、それはその人の過去の行為が神様が作られたカルマの法則によって、その人に返ってきているだけの話で、自分が自分宛に昔送った贈り物なんや。もちろん、その人が自分宛に送った贈り物の内容を知っておられるし、それがその人に良かれと思って届けられる郵便配達人が神さんなんや。
喜びや苦しみは皆さん自身が作り出しているものです。
喜びも苦しみも神が授けるものではありません。
他の誰でもなく、あなた自身があなたの苦しみの原因です。
この真理を知りなさい。
霊的な視点から見るなら、苦しみもこの世の関係も幻です。
それらは現実に存在するものではありません。
人は明けても暮れても迷妄の生活を送っています。
人として生まれたからには真理を体験すべきです。
肉体は一定の期間成長し、その後、弱って老いぼれます。
生まれることも成長することも、体という、現実には存在しないものと結びついています。
けれども人は、体を現実に存在するものと思い、そのために苦しむのです。
~自分は体ではなく、この世にあるすべてのものは何も自分のものではない、ということをひとたび悟ったなら、苦しむことはなくなるでしょう。
この世のすべては皆さん自身が作り出しているものです。
実在するものは何もありません。25/12/03
ポニョ:そんな歌があったよな。自分宛の手紙とかいうタイトルやったな。未来の自分に宛てて手紙を書くんや。でも、神様はそのプレゼントの内容を知っておられるって、郵便法に違反しているな。配達人は中身を覗いたらあかんねんで。それとも神さんの世界では特例秘密法案がもう遵守されて、人々のプライバシーが無いんやろか?
ヨシオ:何を的外れな事を言ってるんや。神さんは何でも知っておられるんや。俺たちのプライバシーなんて何にもないんや。でも、慈悲の権化である神さんはその人が昔、自分宛に送ったプレゼントが余りにもひどいと、それを少し手直しして送り届けられるという特権を持っておられるんや。
ポニョ:その人が経験する苦しみは、その人の過去の行為の結果が返って来る事やけど、それが神様からの贈り物であるっていう意味は、神様がその内容をすでに知っていて、それが余りにもひどいプレゼントやったら、ちょっと箱を開けて中身に細工してから送り届けられるんや。
ヨシオ:だから、困難な状況や苦しみに対して勇気を持って立ち向かう事が大切なんや。神さんは、それにその人が打ち勝てると思ってそのプレゼントを配達して下さっているんや。
ポニョ:そういう苦しみを経ることによって、その人が他の人の気持ちが分かるようになるし、謙虚になるやろな。
ヨシオ:でも、さっきも言ったようにどうしても、その苦しみに耐えきれないと感じれば、その内容を知り、配達して下さった神さんに、それをお返しすればええんや。
ポニョ:ちょっと。宅急便の方。おいら宛に自分が昔送ったオクラやけど、腐って食べられへんから、ちょっと持って帰ってくれますか?こんなん無理やり食べたら、自分がオクラ入りになって、トイレから出て来れなくなるぜよ。と言ってクレームをつけたらええんやな。
ヨシオ:ちょっと的が外れてるけどそんなところや。
ポニョ:そして、この物質の世界以外に、心の世界があるって言ってたな。めちゃ大きいんやろ。
ヨシオ:そこには太陽もあれば月も星も、この世にあるものは何でもあるんや。でも、そこは心の中にある世界で、そこにいる人物は、自分がその人はこういう人だと思っている人がいる世界なんや。
微妙な心の世界は物質的世界の微妙な姿で、因果の世界は、それより更に微妙な姿であるとクリシュナは教えています。
それぞれ互いに深く繋がっているこの三つの世界~目覚めている意識、夢を見ているときの意識、深い眠り時の意識~の中では因果の世界が最も微妙です。
因果の世界は、あらゆるものに満ちています。
ところが、そのすべてを超えるもの、それが無限の神、究極の神の摂理です。
神の摂理は、どんな微妙なものよりも微妙で、どんな小さなものよりも小さくどんな大きなものよりも大きいのです。神にはどんな力の強いものより強い力があります。
神より大いなるものはありません。
神を求めなさい。
心の中に神が宿るようになれば必ず救われます。
そしてあなたに気づいてもらいたいのはどんなに強いものより強いものとは皆さんの真の自己、アートマだということです。
これこそが神の真理でありアートマの真理です。SGc9
ポニョ:ということは、おいらがあんたの事をちょっとガラが悪くて、口も悪いし顔も長い。と思っているけど、そういうあんたがおいらの心の世界にいてて、ウロウロしてるんやな。
ヨシオ:そういうことや。あのな俺の顔が長いのはほっとけ。だから、ババは人は自分が自分やと思っている自分。つまりこの物資世界でこの肉体が自分やと思っている自分。そして、今ポニョが言ったように、誰かが自分の事をこんな人だと思い込んでいる自分と、本当の自分、つまり神さんである自分の三つの自分があるって言っておられるんや。
ポニョ:そういうことやったんか。そしたら、心の世界は自分が想像し、想念の力で創り上げた世界なんやな。神さんがこの物質世界を想念の力で創り上げたように。
ヨシオ:この物質世界は、神さんの心の世界に当たるんや。言って見れば神さんの夢の中の世界やな。でも、神さんは愛そのものやから、この世界でいろんな、悪いものや、見にくいもの、ひどい事件などがあっても、それは結果オーライで、全ては良いことに繋がっているんや。
実際、物質世界は、魔法使いの杖の一振りによって生じる、マンゴーの木のようなもので、心という魔術師によって創り出されたものです。
粘土はこねられて皿や鍋の形になりますが、ある期間がすぎると再び元の形のない土に戻ります。
この世の一切のものは、無相のサットチットアーナンダです。
心が迷妄と無知によって曇っているために、無相がしばらくの間、相をもって顕現したのです。
あるものは役に立ち、あるものは役に立ちません。JV
ポニョ:善と悪、男と女、陰と陽、プラスとマイナス、雄と雌、ポジティブとネガティブ、といった全てのものは、やがて一つになって神そのもの、愛となって行くんやな。
ヨシオ:だから、俺がポニョに何度も言っているけれど、余り裏社会の連中がやっていることに目くじらを立てて批判し、感情を荒だて無い方がええんや。連中も神様が造られた一つの道具で、連中がいるから人々が苦しんで神の方に目を向けて行くことが出来るんや。
ポニョ:苦しみ製造機みたいな連中やけどな。地球的規模で悪さをしてるぜよ。本当におもろい役割をもらってこの世界に来てるんやな。どんなカルマを背負って生まれ変わってきたんやろな。
ヨシオ:一部の人たちが信じているように、人は、決して他の惑星にこのような肉体をとって生まれ変わったりしないんや。平行世界なんかもないんや。もちろん、霊体はどこにでも行けるし、どこでも住める。太陽にだって霊は住んでいるんや。でも、全ての霊はこの地球に生まれ変わらないと次の段階に登ることが出来ないんや。
転生は宇宙の他の星に生ずることはありません。
すべての生命は、人として生まれ変わるのを望んでいます。
というのも、人として生まれ変われたものだけが生死の輪廻の鎖から抜け出ることが出来、神を完全に体現出来る、という二つのことを実現できる機会を持っているからです。
それはこの地球だけで起こりえることなのです。
他の星や、言葉に出来ないくらいこの広い宇宙のどこにもそのような機会は存在していないのです。
ですからこの地球に人として生まれるという事は、とてもユニークなのです。CWSSB
ポニョ:その話は、今までに何度もしたよな。そして、この物質世界と心の微妙な世界。そして神様が光を放つ因果の世界があるって言ってたな。
ヨシオ:それぞれの世界は、その上に包括しながら大きく拡っているんや。例えば心の世界は物質世界に比べると例えようもなく大きくて、その上に拡がっている因果の世界は更に大きい。因果の世界に比べると心の世界は芥子粒に見たないほど小さいんや。だから、この大宇宙がある物質世界は大きいと思っていても、上の世界から見るととても小さな埃のような世界なんや。しかも、神様はそれら三つの世界の中に最も小さいものとしておられ、またそれらを超えたところにもおられて、全てを統べられ神の摂理として顕現されるんや。
ポニョ:広大な話過ぎて、想像が追っつかんぜよ。頭が痛くなって来たぜよ。おいらは塵のような小さな物質世界に住んでいて、色んなことで悩んだり喜んだりしてるんか。アホみたいやなそれって。
ヨシオ:これらの世界は大き過ぎて、人の理解を超えているんや。というか理解しようにも出来ない世界なんや。
ポニョ:まるで、人が大きな岩山の上に計りを持って来て、自分が乗っている岩山の重さを計ろうとしている様なもんやな。
ヨシオ:だから、昔から聖者たちはこれらの世界を人は理解しようとは思わないで、神様に全てを委ねて生きて行けば良いと言ってるんや。
ポニョ:帰依の心は諦めの心って言うもんな。全てを諦め、神を知るか。昔の人はええ事を言うよな。この世の物質的な事を全て諦めれば、神さんしか残らなくなるんや。
皆さんの生きている世界は、つかの間のはかないものです。
どうすれば移ろいゆく世界に生きている小さくはかない生き物が、永遠の果てしない存在を悟ることが出来るでしょうか。
永遠の存在を悟るためには、永遠の存在の内にある永遠の場にとどまらなくてはなりません。
肉体も個性も人格もはかないものです。
~人の身体が物質的な世界全体では芥子粒に過ぎないのと同じように、この大きな物質的な世界全体も、心の世界の中では、それ自体が芥子粒のようなものです。
更にこの信じがたいほど巨大な心の世界も、因果の世界では、やはり芥子粒のように小さいのです。
物質的な世界は、五つの物質の元素から出来ていて、五種類の知覚によって捕らえることが出来ます。
ただ物質世界のすべてはたった五つの元素から出来ている以上、この世界はどうしても生命力の乏しい、動きの鈍いものであるほかありません。
ところが、神の摂理は、まさにその物質的な世界の中にあるのです。
神の摂理は、心の世界にも見られます。
心の世界もまた同じ五つの元素、ただしその繊細で微妙な姿から出来ている為に、やはり生命力の乏しい動きの鈍いものです。
ただし神の摂理が「内なる存在」として物質としての身体に宿り、命の力を与えています。
神の摂理の輝きは因果の世界から放たれています。
因果の宇宙はこの限りない宇宙の中で、最も微妙な宇宙です。
これを理解していただくために、鏡の反射を考えてみましょう。
鏡に映っている像は、像だけで存在しているのではありません。
元のものが動いて、はじめて鏡に映っている像も動きます。
この世で見られるものの輝きは、すべて因果の世界で生まれて、それからまるで鏡のように、心の世界と物質的な世界に映し出されます。
太陽の光が月に映し出されるのと同じように、因果の世界における輝きは、微妙な心の状態に映し出され、それから物質的な状態に映し出されるのです。SGc22