イエスの東方への旅 18/12/26 サイババが帰ってくるよ | ネロリのSea Side Story 〜煌めきの中へ〜

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イエスの東方への旅


ポニョ:今日もQは投稿していませんでしたので、レギュラー記事に直接入りたいと思います。イエスが産まれたのは二十八日なので、それまでイエス関係の記事をお送りしますね。
アメリカとは時差の関係でクリスマスイブですね。トランプは、にわかサンタになって、恵まれない子供達に奥さんと一緒に電話していたようですね。

大統領から直接電話をもらったら嬉しいでしょうね。
それより台湾にも黄色いベスト運動が広まって来ましたよ。日本にはいつやって来るんでしょうか?
https://twitter.com/mambrygwakum/status/1077717644483219457?s=21
という事で、この前は、小林イッサと呼ばれたイエスがインドのスリナガルで一生を終えた話をしました。

ヨシオ:小林はもうええっちゅうに。イエスの墓は、スリナガルの旧市街のロザバルという聖地の中にあるんや。この "Rozabal"はRauza Balの略語で、 "預言者の墓"を意味するんや。入り口には、ユズ・アサフ(イエス)がイスラム教徒の聖人と共に埋葬されていることを説明する碑文もあるんや。両方ともイスラム教の伝統に従って、南北方向に墓石が向いているんやけれど、墓石に開いている小さな開口部を通して墓石の中を見ると、ユダヤ人の慣習に基づいて東西に向いたイッサのサルコファガスと呼ばれる真の埋葬室が見えるんや。そしてこの墓を研究しているハスナインという教授によれば、イッサの墓石には足跡が刻まれており、詳しく調べると十字架と薔薇の像も一緒に刻まれているんや。イッサの足跡には、両脚に傷があるように見えるんやけれど、その傷が十字架にかけられた時に釘を刺された時の傷跡であると仮定すると、その傷の位置はトリノシュラウド(左足と右足が重なって釘付けされている)に示されている傷と一致するんや。アジアでは十字架刑が行われていなくて、十字架刑は中東などの国々の習慣だったのでこの墓はイエスの墓ではないかと言われているんや。墓は「ハザトッサ・イサ・サヒブ」とか「主イエス・キリストの墓」と地元では呼ばれているんや。古代の記録を辿ると、112ADにはすでにこの墓の存在が記録に残っているんや。著名なムスリム聖職者であるグランド・ムフティ(Grand Mufti)は、ハザトッサ・イサ・サヒブが実際にユダ・アサフ(イエス)の墓であることを確認したんや。

ポニョ:これだけたくさんの証拠や遺跡もあるんやったら例のおいらが紹介したトーマスの福音書も聖書に入れるべきやぜよ。

ヨシオ:ポニョがここでそれを決めても誰もポニョの言う事を聞かないやろな。昨日の記事の最初に紹介したサイババさんの言葉の中に「イサが何年かすごした僧院にあったチベット語の経典にはイッサと書かれています。」と言うのがあったけれど、その僧院はチベットのラダック地方にあるヒミスという名の寺院で、そこに過去四人の研究者や探検家がイエスの足取りを追ってやって来て、その僧院に保管してある経典を読み解いて検証したと記録されているんや。その四人の名前は

ロシア人のジャーナリストのニコラス・ノートヴィッチ
インド人でヒンズー哲学の伝道者、スワーミー・アベーナンダ
ロシア人の芸術家であり神秘家・探検家でもあるニコライ・レーリッヒ
スイス人音楽家のエリザベス・カスパリ

やけれど、その内のロシアのジャーナリスト兼、学者でもあるニコライ・ノートヴィッチ(Nicolai Notovich)は、1887年にその僧院を訪れ世界で一番最初にキリストがインドに行ったかもしれないことを示唆したんや。当初ノートヴィッチがヒミス僧院のゲストとして宿泊していた時に、その僧院の修道士がイッサと呼ばれる聖者の話をしてくれたんや。その話を聞いて、ノートヴィッチはイッサが十字架に架けられたり、人々を癒したり、元々はパレスチナ地方からやって来たりした話を聞いて、そのエピソードがイエスの物語ととてもよく似ている話なので大変驚き、その僧院に保管してある経典を調査し始めたんや。

ポニョ:そんな地の果てみたいなチベットのラダック地方にある僧院で、イエスキリストとそっくりな聖者の話を聞いたら誰でも驚くぜよ。しかもスリナガルにお墓まであるんやろ。普通のキリスト教徒がこの話を聞いたらあっと驚く為五郎やぜよ。

ヨシオ:そんな古いギャグを聞いても誰も喜ばないからやめといてくれる?それよりその経典には十字架に磔にされた後のイエスの様子が記録してあるんや。イエス磔の後、約16年間も、トルコ、ペルシャ(今のイラン)、西ヨーロッパを旅したんやて。その旅の様子は、フェリシアの学者であるモハメドの歴史的な作品「ジャミット・トゥワリク」にも載っていて、その作品には王の招待によってイエスがニシビス王国に到着したことを伝えているんや。 (Nisibisは現在トルコのNusaybinとして知られている)。これはImam Abu Jafar Muhammedの「Tafsi-Ibn-i-Jamir at-tubri」という文書に後になって再掲されているんや。その当時イエスは、トルコではイッサという名と共にユーズ・アサフ( 治癒の指導者)と呼ばれていたんや。そしてトルコにはこの聖人ユーズ・アサフの物語がたくさん古代から伝わっているんや。

ポニョ:聖書のエピソードにもイエスは諸国を旅しながらたくさんの人々を癒しておられたぜよ。治癒の指導者ユーズ・アサフという名をもらって当たり前やぜよ。

ヨシオ:古代のその地方の歴史やその地方を支配していた王族、貴族、聖人の伝説を記録したイスラム教徒やヒンズー教の多くの歴史的な古文書や歴史書には、イエスが中東地域やインドを旅した証拠をたくさん示しているんや。例えばコーランはキリストを「イッサー」と呼んでいるし、東方の東部アナトリアに住んでいるクルド族には、イエスが復活した後のトルコ東部でのイエスの滞在を描写したいくつかのエピソードがあるんや。でもこれらの古代から伝わって来たイエスの物語はキリスト教の主流派の人たちからずっと無視されて来たんや。

ポニョ:宗教が政治や金と結びついた途端に腐敗が始まるんやぜよ。時の権力者たちはキリストの権威を借りて、人々をキリスト教に盲目的に服従させ出来るだけ人々から収奪して自らの懐を肥やそうとしたんやぜよ。だから既存のキリスト教の教えを根底から覆すような輪廻転生やらカルマの教えをイエスが説いていたという事がバレるとまずいんやぜよ。
ヨシオ:そうかもしれんな。イエスはトルコやヨーロッパを回った後、次は今のイラン、当時のペルシャやアフガニスタンを旅して人々の治癒に当たったんや。その様子はアガ・ムスタファの「Awhali Shahaii-i-paras」や「Jami - uf - Tamarik、Volume II」など、たくさんの古代の文献の中に見つける事が出来るんや。またカシミールでイエスの存在を証する21の歴史的文書が発見されたんや。その文書の一つBhavishyat Mahapurana(第9巻、第17巻-32冊)には、Issa-Masih(イエス・キリスト)の記述が著されていて、そこには、インドのカシミール地方へのイエスの到着と、クシャン地域(39-50AD)を支配し、キリストをゲストとして接待したShalivahana王との出会いを描いてあるんや。

ポニョ:でもこれだけイエスがインドのカシミールで積極的に活動していたという証拠があるのに、それらを否定し続けても真理は隠せないぜよ。やがてこの本がきっかけになって小さな野火が大きな炎となってイエスの生に真理の光を当て、キリスト教社会という大きな燎原を真理の火で焼き尽くしてしまうかもしれないぜよ。そうなるとキリスト教徒も輪廻転生を認めたり、カルマの法則や不二一元の事を知ったりすれば、人々は生まれながらにして罪人ではなく、自らの本質がアートマだと知ってますます神に近づいて行くぜよ。
ヨシオ:そうなれば良いよな。このようにイエスはいろんな文献に載るほどカシミールで積極的に人々を癒したり、愛の教えを説いたりして神聖な仕事に携わっていたんや。その当時、さっきも言ったようにイエスはユダ・アサフ(治癒のリーダー)と呼ばれていたけれど、人々がイエスの奇跡的な治癒能力に感謝して、東部アフガニスタンにあるガズニとガララバードの近くの2つの平野に、このユダ・アサフという名を冠したんや。

ポニョ:うーん。聞けば聞くほど興味深い話やぜよ。それに今回の話を聞けば、聖書に載っているイエスのエピソードがもっと身近に感じる事が出来るよな。お母さんのマリアさんと一緒に旅をし、カシミールで年老いたお母さんの面倒を見ながら最後まで見とったんやろ。イエスさんってとても愛があって人間的に暖かい感じの人やったんやろな。何かイエス様が恋しくなって来たぜよ。一度で良いから会いたいな。

ヨシオ:イエスの、知られざる磔以降にインドに行かれたけれど、インドはイエスにとってどこかの知らない国では無いんや。実はイエスが若い時に隊商に紛れてインドまで旅したというエピソードがあるんやで。

ポニョ:そうなんや。だから磔の後、インドに行ったり修行の為にトーマスにインドに行ったら良いと勧めたんやな。今になってやって分かったぜよ。それまでなんでインドなのという疑問が常に頭の中を去来してたんや。そうか。そういう伏線があったんや。インドってそういう意味ですごいよな。この世界は全ては神だ。その神が自らのハートの中にいる。そして一人ひとりの人はその神を見つける為に、自らが自分だと思っている私というエゴを無くし、欲望を減らして生きて行きましょう。そうすれば人は自らの真の姿、私は神だという事に気付くのです。そうなればあなたが生きているうちに神さんをあなたの体を通じて神さんが顕現されるのです。そうなればあなたは生き神なんですよ。なんて不二一元の教えを生んだ国やもんな。人類の霊的な宝の山が眠っている国なんやな。

ヨシオ:という事で明日はイエスはイッサのシリーズの最終回です。サイババさんの言葉からイエスが子供の頃にインドに行って悟って帰って来た話をしますね。

人を高めるために、あるいは意識のレベルを上げるために、神は人の肉体を取って生まれ変わられました。
神は人の姿を取って人の言葉で人に話しかけなければなりませんでした。
人々が分かりやすい方法で、教えを説かなければなりませんでした。
鳥や獣に神が降臨する必要はありません。
なぜなら鳥や獣は自らの道を外れて迷うことがないからです。
それを軽んじているのは人間だけなのです。
帰依者:私は長い間知りたいと思っていたことがあります。イエスの肉体は復活したのでしょうか?私が言っているのは霊魂の物質化ではなく、肉体そのものがです。

サイ:そうです。肉体が回復したのです。霊魂の物質化したのではありません。物質的な肉体です。

帰依者:そうでしたか、イエスはそれから東方へ旅しながら伝道を続け、カシミールに行ったのですか?

サイ:そして、カルカッタ、マレーシアへも行きました。

帰依者:それではカシミール地方のスリナガルのロザバル聖地に葬られているのは、イエスの肉体ですか?

サイ:そうです。