先日、サウスロンドンのMorley Collegeでクリスタル・セラピーの入門クラスを受けてみた。
水晶=あやしそう
そう思う人はいるだろう。
私は好奇心のまま、どんなものなのか知るために出かけてみた。アダルトカレッジといって、成人向けの講座が沢山設けている学校がある。アートや、音楽、ダンス、服飾、語学、医学、セラピー関係のあらゆる講座が各種そろっていて、まさに、「四十の手習い」なる、大人になってから、学ぶ機会がもてるところなのだ。このような教育機関は英国には多い。値段も、一日3,4千円程度で手ごろだ。
私のとったコースも、その一日コースだった。
本当のところ、当日になってあんまり行く気がしなくなっていて、授業の始まる30分前まで家にいた。でも、結局、5分遅刻で授業に参加することにした。教室に入ると、講師はアフリカ系の女性で、最初から、何かにFreak out (パニック)していた。戸惑う表情で、集まっている生徒たち。講師は、私と同様、授業時間に間に合うように来れなかったらしく、自分の段取りどおりに授業を始めることができなさそうで、パニクッていた。「ああ、やっぱ、来るんじゃなかった。」そう思っていたのは、私だけじゃなかっただろう。
教室内で、各自の持ち物をきちんとたたんで、一列に置くようにと命ずると、彼女は何人かの生徒をつれて、彼女の道具(クリスタルなど)などを外から運ぶために教室から出て行った。日本では、自分の持ち物をきちんと決められたところにおく、というのは、学校で習っているから、できるけれど、こちらでは、皆めいめいの場所に好き勝手に置く。がさっと床に置いたり。かばんも上着もたいてい床に置く。この講師はそれが嫌いなようだ。私も個人的には好きではない。
「What’s going on?」隣に座るゲイの男の人に、聞いてみる。「God knows!」(しらないよ)皆おとなしく所在なげにいすに座り、講師が戻ってくるのを待つ。
クリスタル・セラピーのおいしいところだけを、とって、帰ることはまずできなさそうだ。
講師が、クリスタルの入った大きなかばんと、その他のお道具の入ったかばん、CDプレイヤーを他の生徒たちと抱えて帰ってきた。
そして、今日の講義内容の書かれたプリントを配り、別の生徒に鐘を渡す。この鐘は、仏壇に置いてあるような、鐘である。「これを教室の四隅を回って鳴らして頂戴。」次に、別の生徒にRain Stickという古い木の枝の中の空洞に種が入っていて、さかさにすると、まるで、雨がふっているような音を出す楽器を渡す。この音は、「もののけ姫」のなかで、白い妖精みたいなのが、さわさわ動いているときに鳴っていた音だ。それも、やはり、教室の四隅で鳴らす。鳴り物を鳴らすことで、その場を清めるのらしい。
そういうの、結構私は好きである。
講師は、この講座の前日にも部屋を掃除して、清めたらしい。
それから、エッセンシャルオイルの瓶を取り出し、手にすりこむと、別の生徒の手にもすりこみ、かばんからクリスタルを取り出す。エッセンシャルオイルは、たぶん、ローズマリーと、セイジではなかろうか。とてもよいにおいだ。昔から、RosemaryとSageは、儀式に使われていたらしい。お清めにつかう香油。
教室の真ん中には、鐘と、タンバリンのような楽器と、Rain Stickと、お鉢に入った、砂。塩水の入った容器が円を描いて並べられている。
講師が私に近づいてきた。「あなたに、してほしいことがあります。」
なんだろう。鐘を鳴らすのか、お香をたくのか、と思ったら、「トイレに行って、たあくさん、たあくさん、トイレットペーパーを持ってきて、この真ん中に置いてほしいの。いいこと、たああああくさんよ。」といって、タンバリンなどの置かれている中央を指す。
なんだよ、トイレットペーパーか。掃除のおばさんにみつかったら怒られちゃうじゃん。
お清めが終わったところで、自己紹介が始まる。プリントを読み、講義内容を確認する。
クリスタル・セラピーとは、逆説的に言うと、石を触ることで、自分自身が持つ問題が解決できるというしろものではない。それでは、なんなのか。
ひとことで言うことは難しいけれども、精神統一、のひとつとして考えたら良いのではなかろうか。日常で、かかわる、あらゆるストレス、心の問題、否定的な感情など、心の中で鬱積(うっせき)しているネガティブなエネルギーを浄化させるための、プラス思考へと自分を持っていかせるための手段の一つであろう。禅と同じで、心の修練なのだ。そう考えると、わかりやすい。
それを、他人にヒーリングとして、クリスタル・セラピーを施すには、何年もの修行が必要だ。一日のコースで、すべてをわかろうなんて、図々しい考えなのだ。
さて、講師は、私たちに、チャクラ(Chakra)の、考えを少し紹介する。7つのチャクラが体のエネルギーをつかさどっている。すべてのチャクラのバランスが整っていて、大きい人は現代社会ではそういない。チャクラは目に見えない、自分の生命のエネルギー。それぞれ、色が決まっている。
クリスタルセラピーだけでなく、すべてのセラピー関係のことに通じて言えるのが、このエネルギーのバランスである。オーラとか、そういう言葉で表すこともできるだろう。
信じない人はそれでいい。感じない人はそれでいい。感じられなくなってしまっているのだから。その感覚を取り戻すために、このような講座が、世の中には存在しているのだ。
改めて、いうが、これは、宗教とか、カルトとかそういうのではない。それ以前のものだ。自分が忘れている、動物性感覚を取り戻すことなのだ。それが、つまり、自分らしさを呼び戻すということでもあるのだ。別に、クリスタル・セラピーやオーラ・ソーマをしてたからって、いきなり、スピリチュアルになれるわけではないから。心配しなくて良い。
雑念をはらって、黙想することと同じこと。いつの日からか、人々は、無心になることをやめてしまった。そして、ストレスを自分の中で取り込む一方で、浄化することができなくなってしまった。
悪い気を、ためこんでいるだけで、その力に負けてしまっているのだ。
さて、授業は、天と地の恵を自分を真ん中にして、感じる、という話になる。地に足を着け、天を仰ぎ、上からと、下からの力をもらい、循環させる。まるで、自分が木のようになったような感じで。
悪いものも良いものも、中に入ってきてもよい。それは、いつも、自分から、良いものとして変えて、また、外へ出るようにすれば良いのだから。
クリスタルはその、間に入る。媒体として借りているのだ。クリスタルは何万年も地下に眠っている。悲しみや、怒りを吸い取ると信じられていた。勾玉などもその一例だろう。クリスタルとは、自分とかかわることで、自分と対話をすることができる。それが、視覚的なものか、聴覚的なものか、触感的なものかは、個人で違う。違っていて良い。こうならなくてはいけない、というルールはない。
雑念を払い、自分の感覚に耳を澄まし、「無」になる。クリスタルを一瞥する。瞬時に、どの石を選べばいいのか、直感でわかる。次の瞬間には、手のひらに小さなクリスタルを握る。
後で見て、「ああ、違う色にしたら良かったかな」と、思うのは、いけない。迷いは禁物。迷ったら、やり直し。
講師は、一人ひとりに、「あなたは、どうして、そのクリスタルを選んだの?」ときく。クリスタルは全部で、5,6種類の色と、岩石や、研ぎ澄まされたもの、丸く加工されたものなど数種類の形があった。
ある人は、「色がきれいだったから」、ある人は、「形がすきだから。」、またある人は、茶色いクリスタルを選び、その色が、土を思わせて、また、その匂いがしたからと、言っていた。私は、「石が私を呼んだから。」と言った。呼んだかどうかは覚えていないけれど、ただ、テーブルの前に立ったときに、その選んだ、紫水晶が私をみていた感じがしたのだ。他の石は目に入らなかった。そして、次の瞬間、その石をにぎっていた。面白かった。石を選ぶのに理由なんかなくってもかまわないのだ。それに惹かれた。何故?わからないけれど、惹かれる。人に恋するのと似ているではないか?条件付で人を好きになるのは、その人に対して、失礼である。それは、愛ではない。
クリスタルを選ぶときは、直感が大切らしい。「あれにしようかな、これがいいかな」と、時間をかけて迷うのはよくない。それは、私もわかる気がする。石に失礼だ。
そうして、3種類の石を選ぶ。1はGround(地に足を着け、自分が今、何を欲しているのか、雑念を払い、捜し求める。それを手伝う石を探す。)2は、Link(自分が、地に立つ木であるかのように、天と地の恵を感じる。それを、手伝う石を探す。)3は、Flow(体全体に、エネルギーが循環して、滞りがなくなることを手伝う石。)それぞれ、違う石でも同じ種類の石でも良い。
講義では、クリスタルを清める方法や、使い方なども教えてもらったけれど、一番の収穫とは、自分の感覚に正直になる、ということを再確認できたことではないかなと、思うのである。
マニュアルどおりに、規則どおりに、決められたことをこなすことになれてしまっている私たちには、この直感を目覚めさせる訓練は、楽しくもある。
だから、「この水晶は、お値打ちですよ。買わないと不幸になる」なんていわれて、水晶を買うのはそもそも間違いなのだ。自分の直感で、「あんたは、詐欺師だ!!!」と感じなくてはいけない。
このような、セラピー系の勉強をしていると、人に誤解されることがある。セラピストは、ややともすれば、詐欺師扱い、気狂い扱いされることがままある。そう思うのは人の勝手だけれど、目に見えることだけが、世の中はすべてではないということ。そう、私は信じたい。
人に気に入られるように生きることで、どうして、自分が自分を愛せるのだろうか。自分に正直になること。それは、心の中の自分と対面することである。心の中の自分の叫び、ささやきを聞くことができるようになれば、どんな、困難がふりかかっても、立ち向かう勇気と、力が備わってくる。
つまり、クリスタル・セラピーを通して、私は、そんなことを感じたのだった。
自分に正直に生きてますか?