来月20日に公示、7月7日に投票が行われる首都東京の知事選挙を控え、これまでカイロ大学を卒業したという、現職の小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑に改めて注目が集まっています。過去にも1992年に当時の日本新党から政界入りした時から、選挙のたびに学歴が問われてきましたが、メディアの前に卒業証明書を提示して学歴詐称疑惑に対して反論してきました。

 

1976年10月  カイロ郊外での小池百合子氏(右)と北原百代さん(左)

 

 しかし、ここ最近学歴詐称疑惑に対して新たな展開が出てきました。4年前の都知事選挙前に出版された「女帝小池百合子」(文藝春秋社)では仮名だった小池氏のカイロ時代の同居人が、昨年11月に「女帝~」の文庫化に伴い実名で登場しました。元同居人の北原百代さんによると実名に転じた理由を、仮名のため「事実ではない」と言われるのが悔しく、文庫化の際に出版社に申し出ました。真実を知ってほしかった。と説明しています。小池氏との出会いは1972年4月で、ともにアラビア語を学ぶためカイロに来ていて、知人の紹介でアパートでの同居を始めたと言います。当初、小池氏は米国資本のカイロアメリカン大学に通い、名門カイロ大への編入を目指していました。「留学生のほとんどは日本でアラビア語の基礎を学んでくるが、小池さんの場合はそうではなかったようだ。」と北原氏は振り返ります。これまで日本のマスメディアは小池氏は1972年10月にカイロ大学に入学して76年10月に卒業したと公表してきました。実際には1973年10月に石油卸売商の父親の取り計らいで、カイロ大学2年生に編入されたと聞きました。また、1973年2月から現地の日本人留学生と結婚し新居で生活をしていましたが、75年暮れに離婚すると「また北原さんと一緒に暮らしたい」と言われ、再び同居を始めました。

 

 

 小池氏は76年10月、日本に一時帰国。翌11月、カイロに戻った小池氏は、一時帰国中に受けたインタビュー記事を北原さんに手渡しました。「エスコート役に芦屋のお嬢さん カイロ大新卒」と大きな見出しがありました。「そういうことにしちゃったの?」と北原氏が尋ねると「うん」とうなずいた。小池氏はほどなく、正式な帰国が決まった。帰国前夜、北原氏にこう話したと言います。「日本に帰ったら本を書くつもりだけど、北原さんのことは書かない。ごめんね。本当のことがバレちゃうから」北原氏は帰国直前の進級試験で落第したのは本人から聞きました。卒業しないまま帰国したと考えるのが自然のようです。という見方を示していました。当時の小池氏のアラビア語の能力は市場で買い物ができる程度だったようです。

 

 

 エジプトという国はコネと金次第でなんでもできる社会で、大学の卒業証明書にしても政府に金を払えば発行が可能のようです。また軍事国家であり国立の名門カイロ大学も軍の管理下にあります。結局のところ実際はカイロ大学は卒業出来ていないが、卒業した事にさせてもらっていたというのが正しいですね。

 

 

小池さん、あなたがカイロ大学を卒業できずに去っていったことを私は覚えていますよ。

 

東京都知事選はタレント候補者を含め、20名を超える候補者が乱立して、百花繚乱状態ですね。