専制的資本主義国家の時代 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)230207号

「専制的資本主義国家の時代」

💫ちょっと得意な文章の書き出しが、これだ。「近現代史は戦争と革命の歴史である」。歴史とは、ここの事件のつみ重ねで構成されるものではなく、過去-現在-未来の時間の流れの中でしか成立しない。近現代の起点を1848年の欧州革命におけば、わずか200年の間に絶え間なく争い事があった。だから近現代史は(戦争と革命)の歴史であった、ではなく、いまもわれわれとともに現在進行中なのである。

⭐️2月24日はプーチンによるウクライナ侵攻開始の日。やはり好戦主義のゼレンは徹底抗戦を国民に強制しており、犠牲者は増えるばかり。数字は明らかではないが、ウクライナ市民の死者が8千人、国外難民が8百万人、ロシア軍14万人、そして米の特殊部隊ら多くが悲惨な状況におちいっても、この戦争は終わらない。この日のTV新聞の論調は、すべてが(長期戦化予想)であり、本音は(終わらせたくない)であった。

★バーデンは24年大統領戦の選挙戦略として、ウクライナ戦争をやめることができない。そのポチ公たるゼレンも政権維持のためには欧米の支援で国内の犠牲をつみ重ねるしかない。そしてプーチンは(戦争を終わらすことができない)。いまや資本主義国家の政治首脳、官僚たちのお仕事は、終わりのない戦争準備と戦争継続しかなくなった。

🌟新聞論評はバイデンの誤算を、中国、ロシアの政治形態を、専制的、全体主義的国家から民主的政態に生まれ替えて、地球家族の一員として一緒に楽しく労働搾取をしよう、と考えていた点であるそうな!30年ものむかし、ソビエト崩壊で、唯一の大国を自認したアメリカはキリスト教宣教に代わり、民主主義?を教義にすれば地球上のすべての国民、民族を手篭めにできると考えた。当然であろう。

☪️しかし、資本制生産がまとう国家形態は、その誕生以来、時に民主的であり、時に専制的、全体主義的であった。1848年の革命をてこに、国民国家、民族国家の成立が、それに先立つ仏革命の(自由平等博愛)の精神をDNAとして受け継いでいて当たり前であろう。ただ、資本制生産の発展は自由平等が資本にとっての搾取の自由平等であり、博愛とは資本家の気まぐれであることが明らかになってしまった。

✨加えて、その発展にともなう富の蓄積、集中、独占は自由な共同体同士の交換すら制限と感ぜられるに至り、うちに対しては専制、全体主義、外に対しては侵略的、植民化として国家機能を別々の側面から示す。民主主義も専制主義も資本制生産がまとう双子の国家形態である。生産循環が順調であれば、民主主義で穏やかに生活するもよし、ただ、脳梗塞、心筋梗塞のごとく生産=血液循環に齟齬が生じれば暴力が主役に躍り出る。

*手術がうまく済めば、しばらくは再び呼吸もできる。資本にとり戦争は外科手術のようかもしれない。場合によれば、臓器移植手術だ。他者の死を前提に死に至る病の重篤者が、うまく済めば生き延びることができる。

☆(行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて)止まるためしなし。歴史の川の流れの中の淀みは、生産過剰を因とする争いごと、そこに浮かぶプーチン、ゼレン、バイデンは臭気を放つうたかたどもだ。一瞬のおのれの栄達の夢のために、多くの水分子を犠牲にする。もうやめた方がいい。

⭐︎ウクライナ戦争の報道を見てて注視すべきは、ロシア、ウクライナの労働者たちがまったく登場しない点である。諸外国の労働者からの連帯の声も届かない。まさか、武器供与で戦争の長期化を期待する意見が、生産不況に生活苦を強いられた労働者たちの声ではあるまい。インフレで強収奪される米英の労働者に反戦の動きはない。TV新聞の長期化予想の宣伝を聞き流しているだけだ。これでは、近現代史は戦争の歴史であると原稿を書き直さねばいけない。平民新聞!非戦論を掲げる新聞がかってはあった。そう、過去の話だ。