老人が生きて、若者が死ぬ。戦争の時代 | 労人社のブログ

労人社のブログ

ブログの説明を入力します。

戦中日記(続労人社だより)230102号

「老人が生きて、若者が死ぬ。戦争の時代」

🌕卯年の今年もマイブームは、漱石と啄木で行くことにする。少し意外に感じるかも知れないが、啄木が結核死したのが1912年。漱石の死が16年であり、20才あまり年長の漱石の方が長生きしている。啄木は死ぬ前3年間ほど東京朝日で校閲担当として働いており、いわば漱石とは同窓。啄木の葬式には漱石も参列している。自分より年下の葬儀に生きて連なるのは少なく、唯一の例外は(戦争の時代)だけかもしれない。

🌖啄木は同時代人?の漱石を強烈に意識した。「虞美人草くらいの小説はいつでも書ける」と友人に漏らしていた。短歌では母嫁子ら家族を養うことができないから小説で、と考えたことは想像できる。すでに、三四郎、それからを書き終え、新聞の売れ行きをも左右する、国民作家の立場を確立した漱石も、大学教授の地位をすて、一介の新聞屋に転じたのは家計=経済故であった。

🌗一握の砂、悲しき玩具で短歌、詩歌の分野では天才の名をほしいままにした啄木も、小説=金のなる木を得るには至らなかった。それは、小説書きの才能が足りないわけでもなく、貧困病の結核に負けたわけでもなく、時代が、ニホンという社会が自らが生き延びるために(戦争の時代に)さしかかっていたことが主因である。戦中の時代は寿命の長幼の序を無視して、やたら若い才能をいち早く死に至らせるものなのだ。

🌘啄木の場合、大逆事件が人生の転機となる。(時代が己の才能を受けれるだけに容量器量に不足するなら、社会そのものを変えてやれ)。食べんがための小説家希望を忘れて、彼は主義者たらんと考え方を変えた。ロスジェネ世代の苦しみが啄木の悩みと重なる。世紀を挟んだ10年ほどの就職氷河期を生きて、個人の才能だけでのし上がれと命じられたが、世の経済力には多様な才能を容れる力量がすでにない。バブル2世はカルト教2世たちの苦しみと重なるのかもしれない。

🌑山上徹也は啄木に倣って主義者になったのだろう。あほシンゾウに対して、多くの狙撃者がすでに銃口を向けていた。以前、子どもらの(誰でもいいから、ただ人を殺してみたかった)という時代思潮を総括して(あほ心臓病)と名付けた。ここ数十年のニホン社会、時代の国民病である。新聞が売れなくなった理由は理由なき殺人事件があまりに増えて、新鮮な驚きがなくなったためだ。加えて、新聞小説もつまらない。さぞ、あの世の啄木は不満だろう。

🌒1999年にG20サミットがスタートした時、農協系研究所の偉いさんが、(農産物価格にしても、世界の仕組みは自称先進国だけの謀議で決められない時代になった)と語られた。ジェネ世代が大量生産される時代に変わったばかりであったが、中進・途上国に加えA A諸国ら地球規模での全員協議によってしか、課題解決はなし得なくなったという認識である。この視点の正しさは地球環境問題を討議すれば自ずと明らかになる。

🌓ただ、農協氏の誤算は侵略戦争を仕掛ける場合はこの限りに非ずという点を失念したこと。軍事兵器が剰余価値を含んだ商品として、生産手段部門にか、生活消費の奢侈品部門に含まれるのかはわからないが、今回のウクライナ戦争、ニホン軍の兵器爆買いで、軍需産業が生き延びたのは確か。いやいや、傭兵どもの大量雇用で労使問題も隠ぺいされた。国債利子も低利で、有利な就職先のない貨幣資本には戦争市場があれば、人の生命を栄養素に増殖可能になる。

🌔岸田が戦争3文書をラブレターに、5カ国歴訪とやらで(軍事費倍増でっせ。これでいつでもどこでも好きな時に戦争ができまっせ。もう落ち目の3度傘じゃ御まへんがな)とドヤ顔をTVに向けた時、松岡洋右が国連脱退演説で得意そうな表情で、(これで宰相の芽が出てきた。支持率も上がる)とニヤリ笑った顔が重なった。戦費調達は税金、国債(国民の借金)で良い。統一教会はお布施であれだけの蓄財をなした。ニホン国民も勤勉さと従順さで知られるニホン人だもの、説明すれば増税にも耐えてくれるはずさ。

🌝宗教2世の苦しみは、岸田のドヤ顔にはじめて強い怒りを感じる。なぜなら、漱石も啄木ももがいて生きた近現代史のそのドン詰まりの現在、死んだ過去の先進経済大国にできる唯一の事柄は「戦争を開始することだけで」、そのツケはバブル2世、宗教2世に回されることを知ってしまったためだ。ブクブク脂肪太りにジジババが生き残り、われら2世たちが啄木のように早死にする(戦争の時代)がやってくる、と岸田の顔が伝えたのがわかったためだ。