弔辞は作者不明の絵そら事 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)221047号

「弔辞は作者不明の絵そら事」

💔「女子と小人は養い難し」が言う(小人)とは子どものことではなく、得のない大人たちとの説がある。孔子さまは(ちょつと優しくすれば図に乗るし、遠ざければ恨むので、扱い難い)と説いたのだそうだ。男尊女卑、家父長制の悪き、古き儒教的社会の教えであり、四民平等、男女同権のいまの時代にはそくさない考え方だ。とはいえ、、

💰と言ったのがニホンの資本主義の父・渋沢栄一。この爺い、孔子は(温故知新)即ち、意欲的に新しいものを取り入れる進歩的人物であったが故に、明治期のニホンでそのような古い教えを説くことはあるまいよ、と語ったらしい。このスケベ爺い功遂げて?妻妾同居という明治の男女同権、四民平等を身をもって実践した御仁で、まさに新しき、うす汚き資本家精神をまとった人間である。

😱いまであれば、この爺い「女子と小人は養い難し」は時代を超えた心理だが、銭さえあれば扱いは楽さとでも言い直すに違いない。栄一の拝金崇拝のパートナーであった伊藤博文も、脳みその空っぽな単ゲバ漢山縣有朋も、ルサンチマンと事大主義を体内脂肪とする小人たちであった。もちろん、ここでいう小人は健気で、可愛い子どもではなく、徳を得ない権力志向者の謂である。

🍺徳のない大人を分かり易く例解すれば、あほシンゾウとアイヒマン菅を思い浮かべれば良い。女子と小人は養い難し、と薄ら笑いを浮かべながら、女性、子どもらを生活苦に追い込む。ひたすら、徴税、国の借金の金利負担をこれら社会的弱者たる女、子ども、加えて年寄りに後年度負担として生前贈与し、一方で花見や高級肉を食して、「養い難し」を堪能する。栄一、博文、有朋と同じお楽しみを繰り返す。国民にとって「養い難し」人間は手前らのような徳のない大人なのだ。

😡テレビのコメンテーターが官邸のどう喝でクビを括られた。天誅国葬の弔辞で、読んでもいない本の一節を引用したアイヒマンの朗読に文句をつけたという理由でだ。政治家たるもの、伊藤と山縣が仲違い、敵対していた歴史を知らないとはまったくもって恥とせねば。晩年、立憲vs藩閥の争いは、ニホン帝国主義の発展をめぐる分岐点となる争論であり、2人はそれぞれの象徴であった。

😎ぼくが愛する陰謀史観によれば、伊藤博文は安重根の狙撃とは別の銃口が致命傷となり天誅にあった。明治の世の都市伝説では、山縣の命で派遣された犯人の銃によって暗殺されている。えっ、それってまるであほシンゾウ暗殺と同じじゃない。以上が本日の陰謀史観。ただ、こうした陰謀史観が元気いっぱいなのは、ニホンでは時の政権が事件の事実解明を一切行わないためだ。

💭バイデンが公表を先送りしたケネディ暗殺調書、英国の1847、1857年恐慌の委員会報告とう重大な事件の分析は国の責任において徹底的になされる。自称民主主義国家にあっては、事実、原因解明と責任追求が存続の根幹に位置する。しかし、ニホンにおいてはすべての権力、公的利権が絡む事件は三者機関による解明が阻止されてきた。陰謀史観ならぬ隠ぺい史観が、栄一以来のニホン資本主義の発展史である。

😴結論。アイヒマン菅が山縣に関する本を読んだことはない。有朋が菅の立ち位置?たる立憲主義に敵対した藩閥、官僚政治家であったことすらご存じなかった。でなければ、伊藤vs山縣wの構図にあほvs菅を重ねる訳がない。もしかして、暗殺者が、、でなければ。真実は菅の弔辞に登場する人物がすべて、そうすべて小人=徳のない政治家であったことだけ。国民にとり、(すぐ図に乗るし、叱れば恨む)扱い難い利権政治家たちの絵そらごと(作者不明)が朗読されただけのことさ。