嬉しきはヨミウリ的なるものの終焉 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)221046号

「嬉しきはヨミウリ的なるものの終焉」

😏かつて、われわれ昭和の男の子は皆、野球少年であった。長嶋、王は(強さ、力)を信奉する子たちのアイドルであり、それに立ち向かうする村山、江夏は弱きを助く正義の味方であった。(より早くより高くより強く)という五輪精神は、商業主義、拝金主義に拝跪して、金銭で取り引きできる商品に変化したが、かつての少年たちは(柔よく剛を制す)〜正確な意味は知らないが〜のように、長嶋、王が三振するたびに喝采をあげていた。

😷もちろん、少年たちの多くは長嶋、王のホームランに喝采したかも知らない。しかし、そう言う輩は野球ファンとしては本質を弁えない、程度の低い、いわば、(野球ファン)ならぬ、(ヨミウリ・フリーク)と称すべきもので、異形なる小人たちである。ヨミウリ的なるものが、世の中にあだなす事例は山ほどある。ナベツネの悪行の数々を見ればわかるだろう。

😱毎年のように、惜しくも優勝を逃すタイガースを見ながら、いつの日にかヨミウリを真人間に戻す時がくる、正義が復活する日が来ると思ってきた。それは、タイガースが優勝する日ではなく、世の中のヨミウリ的なるものが終焉する日である。カネの力で、権力に擦り寄り、パワハラに依拠して(より早く、高く、強く)を是とする心、それをヨミウリ的なるものと言っておく。

💔古代五輪が終焉した理由は、ローマがキリスト教を国教と定め、ギリシャ等西ヨーロッパを完全支配したことで、異教徒のお祭りである古代五輪は自然衰退することになった。自由の国?ギリシャと言っても(より早く、高く、強く)は強い軍隊を、兵隊の戦闘力を養成するためで、それに動員される奴隷階級には良いことばかりではなかった。貴賓席で収賄金の銭勘定するIOCのお偉方の前で、試合をするアスリートと観客の構図と同じ。

💰五輪を金儲けの興行に変態させたのは84年のロス五輪から。ユベロスが赤字イベントを国の介入を排除することで黒字化させた。電通、JOC、ヨミウリもスポーツを金儲けの道具とし商業化を推し進めたのだが、その悪質さはお得意の国と、権力と懇ろになった点にある。とくにヨミウリは核礼讃の正力以来、ひたすら、政治商業スポーツ癒着路線で私腹を肥やしてきたのだ。ヨミウリ的なるものがトップに居座る競技団体で不祥事が相次ぐ理由がここにある。

㊗️さて、今シーズンが終了した。タイガースが奇跡的な3位に、ヨミウリはBクラスに沈んだ。ザマアミロ!。そんなことはどうでもいい。宇宙の真理は、ナベツネ、長嶋が病の床にふし、悪さをする力を喪ったこと。われわれがアイドル王がいまだ、コロナ禍での高級肉の食レポを怠っていること。かつての神様やアイドルがidol(怠け者)とかし、すっかり社会的、歴史的な役割を終えたことがはっきりしたことこそが重要なのだ。つまり、近代五輪と同様、ヨミウリ的なものの終焉が始まったのだ。

🍺それを論証する事実が、最終試合、最終打席での村上の56号。大谷のダブル規定到達。54号を放ったバースの残り2試合の相手がヨミウリ。捕手が(ごめん)と呟く試合で、紳士たるヨミウリ的意志で、バースは四球敬遠されている。Bクラスのヨミウリは坂本のスキャンダルをパワハラで報道を敬遠させ、依然、(野球)を私物化し得ると思い込んでいる。

✊大谷の活躍が、国内の政治権力と癒着して、スポーツ、文化で私腹を肥やそうとすることが、愚かで、恥ずかしい行為であることを示した。森喜朗、高橋、竹田、ナベツネらの顔が揃って酷相で貧相で悪相に見えるのは、より早く、より高く、より強くに加えて、より多く利権に預かりたいと願ったからに違いない。おそらく、国家と縁が切れない近代五輪は衰退へむかい、ニホンのプロ野球もヨミウリの影響力が減ったいくだろう。ありがたいことだ。でき得るならば、勝率5割に満たないタイガースが日本一になって、ヨミウリ的なるものの終焉を寿ぎたいものだ。