教科書のないぼくの本棚 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)220206号

「教科書のないぼくの本棚」

😅本棚の整理をしている。お年玉にもらったエンディングノートをきっかけに私年譜を書き始め、終活の手始めとして蔵書の整理を行っている。天井まで積み上がった本は読まれぬまま、ホコリがまみれており、「地震で崩れたら床が抜ける」と家人から叱責を受けていた。

😱断捨離と称して、不用になったものは捨てましょう!というのが流行っているが、この不用品に本、書籍を含める気にはならない。かつて読んだ本の一冊一冊に、その時々に私歴史があるわけで、本を捨てる気には決してならない。処分したことがあるのは、2度と読まないだろう本ではなく、デート資金を捻出するためにプレミアの付いた初版本を売った時くらいだ。

✋整理してもいいかな、と思ったのは慎太郎の小説を本棚に見つけたため。政治家として、小説家として、さらには人間として最低の野郎としか評価しないが、むかし買って読んだ慎太郎の本が残っていた。たしかに、「つまらねぇ」との読後感を持った本がある。自分のカネで買ってしまった本だから、捨てきれない。

😇結構そんなのが多い。(もしかしたらもう一度読むかもしれない)から、整理しない本だけでなく、本棚には(金を払った)から、残ったロクデモ本が多くあった。ぼくにとって、慎太郎本などその典型なのだが、読むだけ時間の無駄と思う本が結構な量になった。

💢本を整理していてふっと考えた。この本棚には教科書が一冊もない。ひと様より数年多く、学校に通い勉強にいそしんだはずのぼくの本棚に一冊の教科書も残っていない。おもえば1年次の語学を除けば授業を受けた記憶があまりない。貧乏で教科書が買えず、授業に出なかった。でも、卒業証書は残っている。

😳そこで、息子の本箱をみると、ぎっしり詰まったマンガ本が!すべて水島新司著だ。ブックオフに持ち込めば、今ならフェア用に高額で引き取ってくれる。でも、他の本がない。教科書もだ。「勉強したことは頭の中に入れたから、教科書など残っていない」とは息子の弁。そうなんだー!

💦教科書が毎年改定され、習ったそばから捨て去られるのは、書かれた中身が社会的には不用品だからだ。勉強ができて、頭のいいはずの政治家や医者がたかがウイルス如きに右往左往、アタフタするばかりで何も決定することができない。(人間は食作用を通じて代謝と免疫機能が働いているかぎり生きていることができる)と読んだ気がするのだが、はっきりしない。

💤あっ、そうか!官僚や政治家、ヤクザや銀行マンが読んだ教科書には(生命は粗末にしてもいいが、自分の金は大切にしなさい)と書いていたのだ。勉強好きな者ほどたくさん教科書を読んで、社会のすべてが金でできているとの知識を頭に中に溜め込んだ。ぼくが慎太郎本を肥溜めに捨てなかったのも、その教科書の影響が少し残っていたためだろう。だから、自公のタコの話も「人の生命よりカネ儲けが大事」としか聞こえない。

😷本棚の整理はホコリが大変。鼻から口からウイルスが飛び込む。あほのマスクでもするか?あの不用品を運送するだけで、新たに10億円が必要になるらしい。いずれ子ども世代が負担するしかない。もっと前に断捨離しておけば!せっかく税金を注ぎ込んだあほのマスク。捨てて勿体ない。でも、税金、国民の金でしょう。いえいえ、政治家も官僚も税金は自分にカネだと、教科書で教わりました。はい。