私達が昨年、たくさんの保護をしたのは、
「紛争地帯から住民と猫を救うため」とブログでは説明してきました。
それは事実なんですが・・・実は・・・
最大の理由は、私達のチームメンバーKさんの存在でした。
Kさんは、同じ世代ですが、猫ボラの大先輩で経験豊富です。
仕事も趣味もバイタリティ溢れ、人間としても、とても魅力的な方です。
模範的なボランティア活動をしていたので、夫が一年がかりで説得し、
練馬区登録ボランティアになってもらいました。
繁華街の紛争地帯に入った時に、最初の子猫を捕まえたのはKさん。
猫の扱いに慣れていて、子猫は捕獲器を使わずゴッドハンドでとってきます。
その頃、私達が子猫の飼い主探しを着々と進めていたので、
K:「この子も一緒に探してあげてくれる?」とごく自然に頼まれました。
私:「いいよ!(たった1匹だし、まあいいか・・・)」
・・・と引き受けたのが、そもそもの始まりでした・・・
【最初の一匹、くちゃのBefore】

【After 幸せな飼い猫になりました。私達の手腕にKさんは感心しました】

ある夜、携帯が鳴り、Kさんが陽気な声で、
K:「もしもし~♪ 子猫がいたから捕まえたよ。今から持って行ってもいい?」
私:「え?、あっ、ありがとうございます・・・?」
と、こちらが考える余地もないままに、次の子猫が到着しました。
その後も「もしもし~♪」は続き、子猫が次々運ばれてきました・・・
【最初は家の中でも捕まらないほどビビリのかな・かの姉妹も、Kさんが手で捕まえました】

ついには、うちも保護場所が無くなり、
私:「も~ムリムリ!うちケージないもん

K:「大丈夫♪ うちのケージ貸してあげる。猫と一緒に持ってくね~♪」
私:「あっ、ありがと・・・。助かるわ・・・

とゆ~わけで、一時は25匹もの多頭飼育になったわけです。
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餌やりさんが子猫を渡してくれない時、私はあきらめました。
しかし、Kさんは、餌やりさんの店に何度も通い、(=お金を落とし)
子猫が風邪で衰弱したのを見逃さず、病院の通院を理由に連れ帰り、
その間、丁寧に説得して、子猫を手放してもらいました。
【お店のカウンターの下の隙間で暮らしていたもみじとかえで】

彼女をそこまで保護にかりたてたのは、
悲しく、恐ろしい経験のせいです。
猫が殺される公園が、彼女の保護活動の始まりでした。
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