ある日の晩、子猫の体調が急変しました。吐き気が止まりません。
脱水症状にさせないため給水しても、もどしてしまいます。
朝には、早い口呼吸、意識も朦朧として、起き上がれなくなりました。

朝一で動物病院に連れていった頃には、すでに低体温。
誰が見ても、死にそうだとわかりました。
病院としては、危篤状態で原因究明の検査をすることは勧めませんでした。
レントゲンや血液検査のストレスだけで、亡くなる可能性があるからです。
しかし検査をしなければ、治療や薬の選択ができません。
結局、少しでも楽にするための皮下点滴しかできませんでした。

その日のうちに亡くなる可能性も示唆されました。

「私達にできることは、何かありませんか?」

保温してなでてあげてください。と言われました。
私達にできることは看取ることだけのようでした。

死にかけた子猫に、なす術もなく連れて帰りました。
保温のためにタオルでくるみ、抱きしめました。
ごめんね、ごめんねと泣きながら、子猫の名前を呼びました。

ほとんど意識のない子猫は小さく口を開けて、声にならない返事をして、小さく喉をゴロゴロとならしました。




時間の問題で、この子は死んでしまう。
生きていてほしい、生きていてさえくれればいい、私の願いはそれだけでした。
治療が続いても、医療費がかかっても構わない。助けてあげたい。

以前、大けがをして死にかけたあいちゃんを救ってくれた先生に電話をかけました。

「検査もできないほど衰弱しています。そちらに診察に連れていく力もありません。
もう、死ぬことは覚悟しています。それでも私にできることはありませんか?」

先生は「データがないと正確な診断はできないけれど」と前置きして、もっと低体温でも元気になった猫の話をしてくれました。
そして、「あきらめない方がいいですよ」とだけ言いました。
あいちゃんの時も、人間はできるだけのことをしてあげて、後は猫の体力と運命に任せました。
その結果、あいちゃんは元気になり、幸せな飼い猫になりました。

私があきらめたら、子猫は死ぬでしょう。
残された体力も時間もわずかです。

最期まで、できるだけのことをしてやろう。

保温して、シリンジで給水をして、再度病院に行きました。
ストレスで亡くなることも承知の上で、各種検査を行い、対処療法をお願いしました。
患者が覚悟を決めれば、病院も積極的な治療ができます。

子猫は検査に耐えてくれました。
おかげで悪い部分がいくつかわかり、治療の方針が定まりました。
症状を抑えるための措置を行い、子猫にはあまり使いたくない強い薬の助けも借りました。

その晩は、病院に入院させることもできましたが、亡くなる可能性も高かったので、うちに連れて帰りました。
衰弱しきった子猫は、昏睡状態です。
もう、名前を呼んでも返事はしないし、ゴロゴロもありません。

ケージに横たえた子猫の寝顔は安らかで、このまま逝かせてもいいと思いました。
今日一日、生きようとして、すごくがんばってくれました。
明日の朝、目覚めなくても、それはこの子の運命と受け止める覚悟もできました。

それでも最後に「ごめんね」ではなく、「がんばれ、死ぬな!生きろ!!」と声をかけました。


早朝になっても、子猫は生きていました。
すこしづつ、強制給餌・給水を行い、休ませて、を繰り返しました。

翌朝一番で、病院に連れていきました。
その日は入院して静脈点滴をする予定でしたが、昨晩の対処療法が効いて、容体が回復しているので、皮下点滴、注射、投薬で、連れて帰りました。

病院というストレスの多い環境よりも、慣れた家の方が、猫にとって安静にできるからです。

今は休ませながら、給水と給餌を少しづつ続けています。
先のことはわかりませんが、子猫は生きようと頑張っています。
できる限りのことをやってみます。


「飼い主のいない猫」の対策を広めるため、ランキングに参加中です。
ポチ、ポチ、ポチっと、クリックの応援よろしくお願いします!m(_ _ )m