ちょっと意味深な画像でゴメンなさい;;
このネズミ・・・今日僕の会社の目の前で息絶えたネズミです。
昼間に起きた事件なので、状況からしても外傷も無く、多分、薬物による毒死だと思ってます。
何故なら、しばらくこのまま放置してたんですが、
近くのノラ猫やカラス達も一切見向きもしなかったようなので。。。
でも。。。アスファルトの上で息絶えたネズミを見ていて思ったコト、、、
これが「東京」だって。。。
少なからず、小さな「命」が亡くなったコトは確かです。
人間にとって、ネズミは確かに邪魔物かも知れません。
ただ、このネズミも息絶えるまで、きっと生死を彷徨い苦しんだ事と思います。
もし、このネズミがハムスターに生まれていれば・・・
きっと駆除されるターゲットにはならなかったでしょう。。。
ちょっと仏教的なお話になりますが、私は今は「人間」として生きてますが、
もしも生まれ変わって「ネズミ」に生まれてたら・・・と考えると、
きっと苦しみも果てしないモノだったと想像しちゃいました。
私は「動物」が大好きです。
今まで飼った動物=「ハムスター」「タイリクモモンガ」「犬」「猫」「ウサギ」・・・
アクアリウムでは=「スッポンモドキ」「ガーパイク」「アロワナ」「レッドテールキャット」「亀」
海水では=「カラッパ」「ハリセンボン」「チョウチョ魚各種」他、「サンゴ」や「クラゲ」も。。。
居間の壁一面を海水水槽にして、水族館のような部屋で生活してた頃もありました。
訪れる友人から、「お前の家、磯の香りがするよ!!」って云われたほど^^;
最高のプライベート空間で生活しててきたと思ってます。
まぁ、ITバブル期だったし、メタルハライドライト照射による高額な電気代なんて
全く当時は気にして無かったです^^;常に、いろんな生物と暮らしてきました。
当然ながら昆虫も好きですけど、これは女性の印象がイマイチなので、幼少期で終わり^^;
そんな私だから、やっぱり「生物の死」に直面すると、とっても心が痛みます;;
「東京」・・・都内の駅前は「土」さえも全く見ることが無い都会。
このネズミを「土」に埋めてあげたくても、埋葬する「土」がココには無い。。。
本当の意味での「自然」って、身近にあってこそ「自然」じゃないのかしら??
作られた公園や植えられた木々じゃぁ、それはきっと違う。。。
「自然」の中で生きていくからこそ、学べるモノって無くなってしまっているのでは??
「自然」には、「癒し」だけでなく、たくさんの「危険」もあります。
特に子供達が育っていく環境の中では、そんな「自然の中の危険」も
身をもって学んでいくコトってとっても大切なんじゃないかしら?
よく、「川の中洲」で遊んでた人が取り残される事件がニュースで放映されますが、
上流で雨が降ればどうなるか?って、幼い頃から自然の力をもっとよく知っていれば、
きっと安易に発生する事件じゃないんじゃないかな?
このような事件って「天災」では無く、無知による「人災」じゃない??
自然界にカブト虫を採取に行けば、スズメバチの来襲も常識的に経験する。
山奥なら、蛇とご対面する機会もあるし、薄着で行けば「蚊」の猛攻を受ける。
木々を足で蹴飛ばしてクワガタを採取するならば、毛虫の落下も同時に経験する。
これって、とても大切な自然とのコミュニケーションであり、
今、都会育ちの子供達にとって、とても欠如してる経験ではないかしら?
今、幼稚園とかでは「砂場」が無いです;;
砂に猫が糞をするから、衛生的によくないから無くしてるそうですね?
砂場で猫の糞に出会うなんて昔は当たり前だった経験です。
確かに衛生上はよくない!! でも、砂や土に触れていく経験って大切なんじゃない?
人間だけがこの地球上で生きてる訳では無いから、
何でも便利になったとしても、忘れてはならないコトって大切に伝えていくべき。
「テレビゲーム」や「インターネット」が決して悪いとは云いません。
人間だって動物!! 太陽の下で泥んコになって何かに触れていく経験を
決して忘れてはならないと思います。
僕の年代になれば、親本人が「テレビゲーム」や「インターネット」に没頭してる方も多いです。
折角の休日を家に篭って、子供と一緒にゲーム三昧なんて、やっぱり教育上良くない。。。
たとえ家に「Wii」があっても、休日は実体験での「Wii」を太陽の下で楽しんで欲しいと思います。
今日の「ネズミ」の死に直面して、こんな都会へのメッセージを何か受け取った気がします。
先日のアキバ事件の犯人も、やっぱり「都会が生んだ狂気の象徴」であると、
私は思っています。
「行き場の無いネズミ」 になってしまった一人だったのかも知れません。
新しいモノが生まれても、古いモノや古い習慣を忘れてはなりません。
「インターネット」や「メール」が新しいコミュニケーション手段になったとしても、
「肉声によるコミュニケーション」や「表情を見て話す習慣」を決して二の次にしてはならないと思います。
