伊藤杢之丞盛永墓 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

本町四町町民館の近くにある空月庵址。

現在当地は、本陣伊藤家の墓所になっています。

 


墓所の下の段に建てられている「伊藤杢之丞盛永墓」です。

 

以前もお話ししましたが、かつてここには

長府・浄厳寺(現・大乗寺)の末庵がありました。

1808年に女流俳人・田上菊舎が入居した際、

「空月庵」と名付けたそうです。

※記事は↓こちら。

 

 

伊藤杢之丞盛永は当時の伊藤家の当主でした。
 

この辺り(かつての園田村)が

伊藤家の領地だったからだと思いますが、

菊舎は、炉開きの茶会の後、

『空月庵むだ袋』という帳を盛永に贈っています。

 

盛永はオランダ趣味が旺盛な人物で、

もう1つの本陣・佐甲家に宿泊した

シーボルトと交流を持ったり、

オランダ商館長から付けてもらったオランダ名

「ヘンドリック・ファン・デン・ベルグ」を

名乗ったりしていました。

 

前回ご紹介した久三(助太夫)は、盛永の庶子に当たります。

※前回の記事は↓こちら。

 

 

墓の場所は↓こちらです。