山口行斎之墓 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

本町四町町民館の近くにある空月庵址。

現在当地は、本陣伊藤家の墓所になっています。

 

 

墓所の下の段に建てられている「山口行斎之墓」です。

 

山口行斎(本名・成允)は、東北・出羽国庄内

(現・山形県庄内地方)の出身で、

1785年(1796年との資料もあり)の生まれ。

江戸で西洋医学やオランダ語を学び、

医師・小西良碩の養子になりましたが、離縁。

長崎で水夫として働いた後、オランダ商館に勤務。

その後、西洋医学を学び、帰国の途につきました。

 

ところが、下関において、

時の本陣伊藤家当主・杢之丞盛永の知遇を得、開業。

門下生100人を抱える名医として活躍しました。

シーボルト来関の際には、その教えを受け、

彼の活動をサポート。

オランダ商館長からは、オランダ名「カレル」を贈られました。

 

その後、庄内への帰国途中に大坂で病没しました。

 

墓の場所は↓こちらです。