伊藤久三盛正墓 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

前回、本町四町町民館の近くにある

空月庵址をご紹介しました。

↓こちら。

 

 

現在当地は、本陣伊藤家の墓所になっています。

 

下関の伊藤家は、鎌倉時代に長門国の目代(国守代理)として

赴任した、伊藤左衛門尉盛成に始まります。

室町時代に、本陣伊藤家と亀屋伊藤家に分かれました。

「本陣」というのは、江戸時代に大名などの

宿舎を務めた家のことで、

東の本陣・伊藤家は、西の本陣・佐甲家と並び、

その役を担いました。

また、大年寄として、町政でも重要な立場を務めました。

 

元々この辺り(かつての園田村)は

伊藤家の領地だったそうです。

 

 

墓所の一段高い側に建てられている「伊藤久三盛正墓」です。

 

伊藤久三こと助太夫は、幕末の伊藤家当主で、

坂本龍馬の支援者として知られています。

 

1867年、龍馬は、下関に妻・お龍と居を構えましたが、

その居所は、伊藤家の1室を借り受けたものでした。

そこを「自然堂」と名付けて暮らしたそうです。

また、「助太夫」が「九三」に名を変えたのも、

龍馬の勧めによるものだったそうです。

 

墓の場所は↓こちらです。