新地市場前バス停の近くに建てられている
「小田海僊宅址」の碑です。
「僊」の字は、つくりの下側が「舛」になっています。
また、「址」の字は、つくりが「亦」になっています。
前者は「僊」の異体字で、
海僊自身もその字を使っていたようですが、
後者は異体字として確認することができませんでした。
小田海僊は江戸時代後期の画家。
現在の防府市の出身で、
下関新地の染物屋・小田仙右衛門の養子と言われています。
京都で松村呉春に学び、頼山陽の影響も受けました。
萩藩の御用絵師として江戸にも滞在しましたが、
その後は京都に戻って活躍しました。
弟子には富岡鉄斎などがいますが、
松下村塾に学び、吉田松陰の肖像画を描いた
松浦松洞もその1人です
(海僊の弟子・羽様西崕の弟子という説もあります。)。
場所は↓こちらです。