下関伊崎で小瀬戸(小門海峡)を臨む「赤間神宮小門旅所」です。
1185年、壇之浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は
小門海峡に流れ着いたと言われています。
その遺体を引き上げたのが漁業団・中島組です。
中島組は、網にかかったその遺体を
この地に安置したと言われています。
遺体を安置した場所を「御浜殿」と呼び、
現在は「赤間神宮小門旅所」になっています。
中島家は平家の子孫とも言われており、
その祖の名前は中島四郎太夫正則と伝えられています。
現在も、毎年5月3日に安徳天皇を弔う
「先帝祭上臈参拝・上臈道中」では、
中島家がその先頭を歩きます。
また、翌日には御旅所まで御神幸が行われ、
中島家がそれを迎えています。
境内に建てられている「赤間神宮御浜殿地所」の碑です。
向かって左隣はその副碑と思われます。
副碑によると、明治17年(1884年)に当該地が
「赤間宮神駐庫所」に定められ、
御神幸が行われるようになったそうです。
場所は↓こちらです。