今日6月6日は「六連の日」だそうです。
日本記念日協会に今年認められた、第1回目の記念日です。
「六連」というのは下関の離島・六連島(むつれじま)のことです。
先日、海峡ゆめタワーから撮影した写真です。
記事は↓こちら。
沖合に見えるのが六連島。
その隣に馬島と和合良(わごら)島が見えますが、
これらは北九州市になります。
西部公民館の場所をお示ししておりますが、その裏辺りに、
前回ご紹介した「関屋松兵衛旧宅跡」の碑があります。
記事は↓こちら。
六連島の名前の由来は諸説あり、
・6つの島が連続しているから
(少なくとも今は6つも島があるように見えないのですが)。
・島に入植した麻生与三衛門高房ら6人が、
縄で土地を6等分したから。
・韓国語で集落を「モッアール」と呼ぶことによる。
といった説があります。
『日本書紀』にも「没利(もとり/もつり)島」と記されており、
古くから知られた島だったようです。
また、六連島の形がカニに似ていることから
「蟹島」とも呼ばれたそうですが、
下関幡生の生野神社には、
現在の下関椋野・幡生・武久に当たる
空ヶ谷(うつろがたに)という地が、
古代の火山噴火で海上に流出した際、
大きなカニの霊が食いとめて、
六連島となったという言い伝えが残されています。
古くは、六連島のの島民はカニを食べなかったと
言われています。
関門海峡の西の玄関口であり、海上交通の要衝です。
前回ご紹介したとおり、1849年、
下関伊崎の関屋松兵衛宅に
長州藩の命を受けて、北浦(日本海)側の防備を検査する
「異賊御手当御内用掛」一行が宿泊します。
その1人が、数え20歳の吉田松陰でした。
1849年7月15日、松陰らは下関吉見を発ち、
彦島を回って亀山八幡宮に向かい、
その後松兵衛宅に入っていますが、
その日、六連島も視察しています。
その後、1867年に江戸幕府がイギリスと交わした
大坂約定(大坂条約)に基づき、明治4年(1872年)には
六連島灯台(国指定重要文化財)が建設されました。
戦前には軍事施設も設けられていたそうです。
また、瓶詰めウニ発祥の地でもあります。
明治20年(1887年)、六連島の西教寺で、
英国人の水先案内人が、ウニの小鉢の中に
ジンをこぼしてしまいました。
和尚であった蓬山がそのウニを食べたところ、
大変美味しかったことから、
島で塩漬けうにを作っていた城戸久七の手により、
ウニのアルコール漬けが誕生したのです。
現在は島民86人。
漁業の外、花卉栽培が盛んな「花の島」です。
本土からは渡船で約20分の船の旅となります。
渡船場の場所は↓こちらです。