2月に長門市仙崎を訪れました。
童謡詩人・金子みすゞの故郷です。
みすゞ(本名・テル)は、明治36年(1903年)に、
仙崎に生まれました。
叔母(母親の妹)が、下関の書店・上山文英堂に嫁いでおり、
父・庄之助は、その書店の清国営口支店長でしたが、
明治39年(1906年)に死亡しています。
その後、上山文英堂に嫁いでいた叔母が亡くなり、
大正12年(1923年)、母・ミチが、叔母の夫だった
上山文英堂の上山松蔵と再婚します。
みすゞも、母親と共に、下関に転居。
当時下関にあった「商品館」の中に、上山文英堂の支店があり、
みすゞはそこで働くようになりました。
そして、雑誌に作品を投稿するようになります。
そして、大正15年(1926年)に結婚。
相手は、上山文英堂で働いていた宮本啓喜という男でした。
就職して数箇月で番頭格に抜擢された有能な男でしたが、
女遊びが激しかったそうです。
みすゞの実弟で、幼い頃から上山家の養子となっていた
上山雅輔(本名・正祐)ともうまくいかず、
啓喜は結局、上山文英堂を去ることになります。
みすゞは啓喜について行きましたが、
啓喜は放蕩を続け、みすゞの詩の投稿を禁止。
更には、みすゞに淋病をうつすに至り、
ついにみすゞは離婚を決意。
昭和5年(1930年)に離婚が決定します。
しかし、娘・ふさえの親権のトラブルから、同年に服毒自殺。
西條八十が「若き童謡詩人の中の巨星」と讃えたみすゞは、
わずか26年でその生涯を閉じたのです。
みすゞの詩は、その後、忘れ去られていましたが、
昭和59年(1984年)に、
児童文学作家で童謡詩人の矢崎節夫氏らが作品を発掘。
脚光を浴びることになりました。
金子みすゞ記念館
みすゞの実家跡に建てられています。
みすゞの家は上山文英堂の世話により、
書店「金子文英堂」をしていたそうで、それが再現されています。
みすゞとの撮影コーナー
みすゞの像
みすゞの部屋
※レンズにゴミが付いていたようで、
オーブが写っているようになってしまっています。
以下写真によっては同じです。申し訳ありません。
モザイク画の1/13サイズのタペストリー
実物は12万枚の顔写真を用い、ギネス記録に認定されたそうです。
金子みすゞ記念館の場所はこちらです。
みすゞが眠る遍照寺
みすゞの墓
遍照寺の場所はこちらです。
八坂神社(祇園社)
西暦733年に吉備真備が創建したと言われています。
みすゞが詩「祇園社」で描いた場所です。
場所はこちらです。
仙崎の旅は次回へ続きます。