前回、火ノ見山に登ったことはお話ししました。
火ノ見山の山頂にある石碑(祠?)です。
以前は上に石造りの屋根が置かれ、
建物の形になっていたそうですが、
失われてしまっているようです。
「願主 伊倉村」と記されています。
「伊倉(いくら)」という地名はかなり古いものらしく、
平安時代の930年代に作られた辞書
『和名類聚抄(倭名類聚鈔)』に、
「生倉」という地名が記されています。
「伊倉村」という村は、少なくとも南北朝時代の
1364年の文書には記載があるそうです。
そして、明治22年(1889年)の豊西下村
(現在の下関市川中)の発足まで存在していました
(その間に中断があるかもしれませんが。)。
この碑がその間のいつ建てられたものなのかは
確認できておりません。
場所はこちらです。