東宮御成婚記念 仲哀天皇駐蹕遺跡之碑 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

 

彦島八幡宮の境内、楼門向かって右側の池のほとりに建てられている

「東宮御成婚記念 仲哀天皇駐蹕遺跡之碑」の碑です。

 

仲哀天皇は、日本武尊(ヤマトタケル)の子。

三韓征伐で知られる神功皇后の夫でもあります。

 

西暦193年、九州の熊襲の反乱を受け、

仲哀天皇はその征伐に向かいます。

そして、穴門の豊浦津にて豊浦宮を設け、

そこに7年ほど滞在したと伝えられています。

その場所は、現在の長府、忌宮神社の地だと言われています。

 

199年、仲哀天皇は筑紫国の橿日宮に移りますが、

その際、筑紫の五十迹手(いとで)という豪族が

彦島まで天皇を迎えに行き、

天皇の乗る船を現在の彦島八幡宮境内に着けると、

八尺瓊、白銅鏡、十握剣を献上しました。

天皇は五十迹手を褒め、「伊蘇志(いそし)」の名を与えました。

結果、伊蘇志の本国は、「伊蘇国」と呼ばれるようになり、

更には「伊都国」となりました。

五十迹手は、伊都県主の祖だと言われています。

 

碑は大正13年(1924年)に、

時の皇太子(後の昭和天皇)の結婚を記念して建てられました。

題字の揮毫を手掛けたのは男爵・国司直行。

禁門の変の責任を問われて自刃した

長州藩家老・国司信濃の孫です。

 

場所はこちらです。