以前掲載した、下関市豊田町手洗にある
飯塚山(飯塚城址)の写真です。
で、↑これも、その時ご紹介した「飯塚開祖飯塚三郎之碑」です。
飯塚三郎は、南北朝時代に、
防長の三大豪族の1つである豊田氏に仕えた重臣です。
当地に飯塚城(飯塚城塁)を築き、南方の守りを固めました。
華山にある神上寺との土地争いの結果、
飯塚山で切腹したと伝えられています。
で、飯塚山の西側の麓に、飯塚家の墓地があります。
googleのストリートビュー
(平成28年(2013年)5月撮影)では、
木々の中に埋もれてしまっているらしく姿が見えませんが、
現在は、周囲の木が伐採されており、
確認することができます。
場所はこちらです。
そして、飯塚三郎本人の墓は、飯塚山の北にある
本浴橋のそばにあるはずなのですが……
↑これ……らしいです。
2番目の写真に2本の電柱が写っておりますが、
googleのストリートビューでは、
その電柱の脇に石が積まれた碑が写っています。
それが飯塚三郎の墓だと言われているのですが、
何らかの事情で崩れて、
橋の袂に置かれているものと思われます。
場所はこちらです。