下関市豊田町一ノ俣。
前回もご紹介した、一の俣集会所斜め向かいの石碑群です。
その中央に建てられている石碑です。
「日露戦役紀念之碑」と記されています。
題字の揮毫は中村正雄。
日露戦争では、歩兵第35連隊長として旅順に出陣。
負傷して連隊長を折下勝造に譲りますが、
勝造は就任して間もなく戦死しています。
正雄は、その後、旅順攻囲戦で名声を得た中村覚の後任として、
歩兵第2旅団長を務めました。
碑の場所はこちらです。
で、こちらは、同じ豊田町でも、今出という場所。
下関市で最も東にある地区(大字)です。
下関市街側から石柱渓に向かう手前に、
一ノ俣同様、石碑が3基並んでいる場所があります。
その向かって一番左の碑です。
「対露軍凱旋紀念」と記されています。
日露戦争集結の翌年、
明治39年(1906年)に建立されました。
場所はこちらです。
今出の石碑群の残りの2基については追ってご紹介しますが、
撮影順番的に本来先にご紹介すべき碑がそこそこあるので、
しばらく後にさせていただきます。