港がみえる丘の径4 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

前回に引き続き、港がみえる丘の径を歩きます。

地図は4枚目。最後です。

 

 

※地図は、画像をPCに保存すれば、

 拡大してご覧いただけると思います。

 

 

王江小学校の下から、功徳院の前を通り、

豊前田通り(晋作通り)から下関市役所に向かう通りに合流します。

 

 

19の場所は永福寺の山門です。

 

 

山門の裏に無造作に置かれたタイル。

 

 

20の場所。

 

 

階段の上が永福寺。

西暦611年、推古天皇の時代に創建されたと言われる、

歴史の古いお寺です。

百済の聖王(聖明王)の子で、大内氏の祖とされる琳聖太子が、

創建したと伝えられています。

以前ご紹介した「幽霊祭」でも有名です。

 

しかし。

 

 

港がみえる丘の径は、右の脇道。

 

 

以前は休憩所だったんでしょうねえ。

 

 

こんなところを歩きます。

 

 

21の場所。

 

 

関門海峡が見えました。

海峡沿いのエリアはあるかぽーと。

このたび、星野リゾートがホテルを建てることになったそうです。

写真中央やや右の空に黒い点が写っているのは、

関門海峡遊覧のヘリコプター。

写真手前右手は、やまぎん史料館の屋上ガーデン。

 

 

ここから22の場所に向かいます。

地図ではそれっぽく書いておりますが、

実際は道がよく分かりませんでした。

 

 

で、22の場所。

 

 

専念寺です。

永福寺同様、西暦611年に琳聖太子が創建しました。

当初は「福生寺」という天台宗のお寺でしたが、

弘長年間(1261年~1264年)に

時宗の開祖・一遍がこの地を訪れた際、

時宗のお寺となり、名称も「専念寺」になりました。

「竜宮の鐘」にまつわる逸話があるそうです。

 

 

23の場所。

 

 

菅原神社です。

正暦年間(990年~995年)に大宰府から分霊を勧請し創建。

毛利家の崇敬を受け、「長門天神」とも呼ばれています。

 

一方で、この神社は恵比寿神社とも呼ばれます。

1857年に相殿として事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀り、

海や商売の神様として崇敬されています。

毎年2月9日には、ふくの日祈願祭が催されています。

 

 

24の場所。

 

 

酉谷寺です。

1576年創建。

ペット霊園があることでも知られています。

 

 

扁額は伊藤博文の揮毫。

 

 

25の場所。

 

 

寿公園でゴール。

 

 

ということで、港がみえる丘の径でした。