亀山砲台跡 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

 

亀山八幡宮境内。

関門海峡を望むように建てられている「亀山砲台跡」の碑です。

昭和37年(1962年)に建てられました。

 

 

幕末の攘夷戦の頃、下関には数多くの砲台が築かれました。

そして、1863年5月10日、久坂玄瑞率いる光明寺党が、

アメリカの商船・ペングローブ号を砲撃。

攘夷戦(下関戦争)の火蓋が切って落とされました。

その時、砲撃が行われた場所が亀山砲台でした。

6月1日、長府藩主・毛利元周は、

亀山八幡宮に戦勝を祈願したそうです。

 

しかし、同日、アメリカの軍艦・ワイオミング号が

長州藩の軍艦を攻撃。

更には、5日に、フランスの軍艦・セミラミス号と

タンクレード号が前田砲台を砲撃。

上陸したフランス軍により前田砲台は占領されました。

 

ただし、亀山八幡宮には大きな被害はなく、

「矢よけ八幡宮」とたたえられたとのことです。

 

 

碑の場所はこちらです。