下関と言えばフグ。
下関では、縁起を担いで「ふく」と呼びます(^∇^)
下関では、ふくをデザインしたものをあちこちで見かけます。
そして、今年はふく食解禁130周年!!(*゜▽゜ノノ゛☆
というわけで、昨日9月29日(ふくの日)より、
「ふく食解禁130年下関幸ふくの旅キャンペーン」が
始まったそうです。
PR大使は「ふく」にちなんで鈴木福くん。
こちらのサイトで、フグになった福くんをご覧ください( ´艸`)
そして、福くんのブログの記事が↓こちら。
さて、ふくを食べることを禁止したのは、豊臣秀吉です。
1592年~1593年の文禄の役の時、
肥前名護屋城に向かう際に下関に立ち寄った武士たちが、
ふくを食べて次々に死亡しました。
そのため、秀吉はふく食を禁止したとのことです。
そのふく食の禁止は江戸時代にも続き、
長州藩では、ふくを食べて死亡した場合は
お家断絶となったそうです。
しかし、実際には、ふくは陰で食べられていたようです。
ただ、吉田松陰は、「武士がふくの毒で死ぬのは恥」として、
ふくを食べなかったそうです。
また、山県有朋も、奇兵隊で他の隊士がふく鍋を食べる中、
1人別に鯛鍋を食べていたそうです。
その様子を見ていた高杉晋作も、
有朋と鯛鍋を食べるようになったそうです。
その後、明治時代に入り、明治20年(1887年)のこと。
時の首相・伊藤博文が下関の旅館・春帆楼に宿泊しました。
しかし、その日は荒天により魚がありませんでした。
やむなく、女将の藤野みちは、打ち首になることを覚悟で、
ふくを出しました。
その美味しさから、博文は翌明治21年(1888年)に、
山口県知事・原保太郎に命じ、ふく食を解禁したのです。
写真は、関門国道トンネル下関側入口付近に掲げられていた
「こいのぼり」ならぬ「ふくのぼり」。
「60」の文字が見えると思いますが、
それについては次回お話しいたします。
場所はこちらです。