青龍モニュメント(JR川棚温泉駅、豊浦町有五号泉(再掲)) | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

昔、下関豊浦の地にあった泉に、青龍が住んでいました。

しかし、大地震がこの地を襲い、

青龍が住む泉は熱湯と化し、山崩れにより埋まってしまいました。

青龍は悲しみのあまり、病気になり、死んでしまいました。

 

村では日照りが続き、疫病が流行るようになりました。

村人は青龍を祀る社を造りました。

 

ある日、泉のあった場所に畑を作ろうと、村人が地面を掘ると、

温泉が湧き出しました。

そして、その湯を浴びると、病気が治ったのです。

 

月日が流れ、青龍のことも温泉のことも忘れられようとしていた頃、

この地は再び日照りと疫病に見舞われました。

三恵寺の住職であった怡雲(いうん)和尚は、

人々を救うため日々仏様に祈りを捧げていました。

ある夜、和尚の枕元に薬師如来が現れました。

そして、薬師如来は和尚に、青龍と温泉のことを告げました。

 

和尚は村人と共に、温泉を掘り起こしました。

その温泉を浴びた人々の病気は治っていきました。

そして、村では、温泉と村の守護神として青龍を祀り、

祈りを欠かさないようにしたのです。

 

……というのが、川棚温泉の縁起とされている物語です。

 

 

実際には、源平の合戦の時代であった1183年に発見され、

領主・平定盛により、湯屋も建設されていたそうですが、

鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時期の

豪族たちの争いの中で忘れ去られ、埋まってしまったのだそうです。

 

そして、室町時代になって、

怡雲和尚が病人のために掘らせて、発掘したとのことです。

 

ただし、最初の発見の時から、

青龍権現が守護神ではあったそうです。

 

 

というわけで、川棚温泉には青龍にちなんだものがたくさんあります。

 

 

 

JR川棚温泉駅前にある青龍のモニュメントです。

 

 

場所はこちらです。

 

 

 

 

↑こちらは、以前もご紹介した豊浦町有五号泉のモニュメント。

以前はモニュメントがむき出しだったのですが、

小屋が建てられておりました。

 

 

場所はこちらです。