下関市内には「龍馬と下関」という説明板が建てられています。
平成22年(2010年)、大河ドラマ「龍馬伝」の年に、
坂本龍馬ゆかりの場所16箇所に建てられたものです。
↑この写真の説明板もその1つで、
桜山神社の境内に建てられています。
「龍馬と下関」の説明板は、あくまでも「説明板」なので、
普段は石碑・モニュメントにはカウントしていないのですが、
今回はこの説明板を碑としてご紹介します。
理由は、この説明板に、
坂本龍馬の妻・お龍(楢崎龍)の歌が記されており、
市内に建てられている観光案内の看板の中でも、
「お龍の歌碑」として紹介されているからです。
「武士(もののふ)の かばねはこゝに 桜山
花は散れども 名こそ止(とど)むれ」
龍馬は、下関にお龍と居を構えました。
豪商・伊藤久三より、伊藤家の1室を借り、
そこを「自然堂」と名付けて暮らしたそうです。
しかし、龍馬はお龍を残して非業の死を遂げます。
伊藤博文や山県有朋らは、お龍の気を紛らわせようと、
彼女を桜山招魂社を運営するための茶屋「あけぼの」に
連れて行ったそうです。
お龍は、銃でだいだいの実を撃ったり、
夜通し飲み明かしたりしたそうです。
龍馬の死後、お龍は、坂本家とも上手くいかず、
再婚したものの、夫の死を嘆きながら
酒びたりの日々を送ったと伝えられていますが、
「あけぼの」での様子からも、その一端が伺えます。
ちなみに、木戸孝允の妻・松子(京都の芸妓・幾松)は、
この「あけぼの」で働いていたことがあったそうです。
碑の場所はこちらです。