日本銀行下関支店の裏に建てられている
「真木菊四郎殉難之地」の碑です。
功徳院の門前、「薮之内弁財天」と記された門柱の前にあります。
真木菊四郎は幕末の久留米藩士。
父は、禁門の変(蛤御門の変)で敗れて
命を落とした真木和泉(保臣)です。
父の落命後、菊四郎は長州で父の遺志を継ぎ、
長州と薩摩を結びつけるべく活動します。
しかし、ある夜、この地で3人組に暗殺され、
23歳の若さで世を去る事になるのです。
「薮之内」というかつての地名が物語るように、
当時は大変鬱蒼とした場所であったそうです。
菊四郎を暗殺した首謀者について、
かつて菊池寛は俗論党の仕業だと推測しました。
しかし、現在は、土佐藩を脱藩して長州藩で活動していた
池内蔵太だと言われています。
内蔵太は薩摩をひどく憎んでおり、
それが菊四郎を殺めることにつながったようです。
碑は昭和32年(1957年)に建てられたもので、
田中華陵が揮毫しています。
場所はこちらです。