以前UPした、馬関まつりにおける
朝鮮通信使行列の再現(親書交換式)の写真です。
朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて、
李氏朝鮮から日本に派遣された外交使節団です。
室町時代に3回、安土桃山時代に2回、
江戸時代に12回、計17回派遣されました。
釜山を発った通信使は、対馬、壱岐、
相島(現在の福岡県新宮町にある島)を経て、海路下関に到着。
その後、瀬戸内海を経て大坂の淀川を上り、
その後は陸路で江戸を目指しました。
※回によっては経路が異なったようです。
下関では、当時の阿弥陀寺(現在の赤間神宮につながります。)と
引接寺が、通信使の客館として使用されました。
阿弥陀寺では、通信使が、
壇之浦の戦いで命を落とした安徳天皇を偲び
「壇ノ浦懐古詩」を創るのが慣例となっていたそうです。
また、阿弥陀寺では、長州藩の学者などが、
通信使の中の学者などと交流を行ってもいます。
通信使は、現在の赤間神宮前、
阿弥陀寺公園附近の桟橋から下関に上陸したそうです。
阿弥陀寺公園には、その上陸を記念して、
「朝鮮通信使上陸淹留之地」と記された碑があります。
平成13年(2001年)に建てられました。
題字は、当時の韓日議員連盟の会長で、
前年まで韓国の国務総理を務めていた、
金鍾泌氏が揮毫しています。
場所はこちらです。
現在、江戸時代の朝鮮通信使の資料が
「朝鮮通信使に関する記憶:17世紀~19世紀の日韓間の
平和構築と文化交流の歴史」として
ユネスコの記憶遺産に申請されており、
間もなく登録される見通しとなっています。