下関市長府・忌宮神社の境内に
「蚕種渡来之地」と記された石碑があります。
石碑本体だけでも高さ5m、
台座を含めると高さは6.3mにもなる巨大なもので、
自然石の石碑では山口県内屈指の大きさを誇ります。
さて、一昨日もお話ししたとおり、下関市長府にある忌宮神社は
仲哀天皇が豊浦宮を設けた場所と伝えられています。
西暦195年、仲哀天皇4年に、
中国から日本に帰化した人物がいました。
名を功満王、秦の始皇帝11世の子孫と言われています。
※功満王の来日時期や、始皇帝からの代数などは
出典により異なるようです。
その功満王は、
豊浦宮に滞在中の仲哀天皇に数々の品物を献上しました。
その中に蚕種(カイコの卵)が含まれていたのだそうです。
そのため、忌宮神社は「蚕種渡来の地」と言われており、
毎年、「蚕種祭」が執り行われています。
この碑は、蚕種祭が催され始めた
昭和8年(1933年)に建立が発起され、
大阪城に用いられるはずだった巨石を使って、
同年中に完成しました。
日本の生糸が世界シェアの7割を占めていた頃の話です。
題字は当時大日本蚕糸会会頭を務めていた、
越後長岡藩牧野家第15代当主・牧野忠篤の揮毫、
碑文は当時の大日本蚕糸会山口支会長で、
山口県知事であった菊山嘉男の撰文によります。
また、副碑は昭和61年(1986年)に建てられたもので、
碑文は、当時忌宮神社宮司であった、
元神道政治連盟会長の宮崎義敬氏が手掛けています。
場所はこちらです。