皇威輝乾坤、明治三十七八年戦役旅順黄金山低砲台戦利品二十五珊米突速射加農砲堅鉄弾 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

豊神社境内、先日ご紹介した「伊倉の民誌 「ぐみの実」之塚」に

向かうように建てられている2基の石碑です。

大きな方の碑には「皇威輝乾坤」と記されています。

小さな方の碑には「明治三十七八年戦役旅順黄金山低砲台

戦利品二十五珊米突速射加農砲堅鉄弾」と記されています。

 

 

日清・日露戦争の後、全国各地にはその戦利品が奉納されたり、

払い下げられたりしたそうです。

特に、日露戦争の後の明治39年(1906年)には、

陸軍だけで23170もの神社等に砲弾が奉納等されたそうです。

 

「明治三十七八年戦役……」の碑には、

日露戦争の際に旅順の砲台にあった加農砲の砲弾が

乗せられていたそうですが、現在はなくなっています。

 

 

また、「皇威輝乾坤」は明治39年に建てられたもので、

乃木希典が揮毫しています。

 

以前もお話ししましたが、希典揮毫の碑は珍しいそうです。

 

 

これらの碑の場所はこちらです。