下関市伊倉にある豊神社です。
明治42年(1909年)に、
伊倉八幡宮、稗田八幡宮、熊野神社が合祀され、
豊神社となりました。
境内にある「伊倉の民誌 「ぐみの実」之塚」と記された碑です。
昭和60年(1985年)に建てられたもので、
綾羅木地区自治連合会長だった大西正一氏が揮毫しています。
昔、伊倉八幡宮の近くに、浪人の父子が住んでいました。
ある夏、村のスイカが盗まれるようになりました。
村人はその浪人の息子を犯人だと決めつけ、
浪人にその始末を迫りました。
浪人は息子の潔白を信じていましたが、
それを証明するものがありません。
意を決した浪人が、その子を殺してお腹を開くと、
スイカの種ではなく、グミの種が1粒出てきました。
村人は深く謝りましたが、浪人は村人を責めず、
息子の潔白が認められたことを喜び、
自らもその場で切腹して死亡しました。
村人はこの父子の墓を建てて、祀りました。
また、使用していた茶釜と脇差しを
八幡宮の宝物として納めたとのことです。
その茶釜の箱の蓋には、
「享保十六年」(1731年)の文字があったそうなので、
今から300年近く前の話ということになります。
碑の場所はこちらです。
また、碑正面の石段を上って左手に
その父子の墓ではないかと言われている墓があります。
豊神社の摂末社・大年神社の拝殿そばです。
場所はこちらです。