長府中学校と長府高校とを結ぶ道の途中、
曲がると覚苑寺へと通じる交差点にある碑です。
741年、聖武天皇の命により、各地に国分寺が建てられました。
その時に長門国分寺が建てられた場所が、
この地から北側にかけてであったそうです。
国分寺は明治22年(1890年)に、
市役所近くの現在地に移転していますが、
昭和8年(1933年)には、種田山頭火がこの付近で
次の句を詠んでいます。
「松が三本、国分寺あとといふ 芋畑」
その際、一昨日お話しした
山頭火の後姿を写した写真が撮られたのだそうです。
碑の場所はこちらです。