長府藩報国隊顕彰之碑 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

豊功神社にある「長府藩報国隊顕彰之碑」です。

 

 

奇兵隊結成後、長州では

「長州藩諸隊」と呼ばれる多くの有志の部隊が結成されます。

その中に、長府藩で結成された「報国隊」がありました。

 

長府藩の青年藩士である熊野直介、福原和勝らにより

報国隊が結成されたのは1865年のこと。

その前年、彼らは当時住吉神社にあった

初代藩主・毛利秀元の廟の前で盟約を結んでいます。

 

 

報国隊には、「長府の松下村塾」と言われた

集童場で学んでいた少年たちも加入しており、

少年16人の筆頭として盟約状に署名血判をしたのが

「乃木無人源頼時」、後の乃木希典でした。

 

報国隊は四境戦争小倉口の戦いや北越戦争に従軍しており、

希典の初陣も四境戦争小倉口の戦いでした。

希典は奇兵隊・山県有朋の指揮下に属し、

小倉城に1番乗りしたそうです。

 

 

碑は昭和61年(1986年)に建立。

題字は当時の豊功神社宮司で忌宮神社宮司でもあった、

神道政治連盟元会長の宮崎義敬氏が揮毫しています。

 

 

場所はこちらです。