床屋発祥之地 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

アメブロさんとIEの相性が悪くなっているのか、

画面が固まったりすることが最近増えたので、

Google Chromeも並行して使ってみようと思います。

 

 

さて。

 

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……らしいのですが、
奇しくも、今日ご紹介する石碑は↓こちらです。
 

 

亀山八幡宮の大鳥居の隣にある「床屋発祥之地」の碑です。

人間の頭、櫛、剃刀をデザインしているそうです。

 

 

足元にはタイムカプセルが埋められています。

 

 

時は鎌倉時代。

亀山天皇に仕え、京都御所の守護職であった

北面の武士・藤原晴基(基晴)は、

御所から宝刀・九王丸(九龍丸)が盗まれた責任を取って辞職。

浪人になると、長男・次男を京に残して、

三男と共に宝刀探索の旅に出ます。

そして、宝刀が海外に流出しないよう、交通の要衝であり、

元寇で情勢が緊迫していた下関に入ります。

 

晴基親子はそこで新羅人から髪結いの技術を学び、

現在の下関市中之町付近に、

武士を相手にした結髪所を開きました。

その店の床の間には立派な祭壇があったため、

人々は「床の間のある店」、それが転じて「床場」、

そして、「床屋」と呼ぶようになったとのことです。

 

その後、晴基は宝刀を見つけられないまま死亡しますが、

息子は床屋を続けながら宝刀を探索し、

ついには宝刀を発見します。

息子は、その後、鎌倉に移住。

髪結職として幕府に重用されとのことです。

 

この三男の名は藤原采女亮(うねめのすけ)政之。

日本理美容業の祖とされる人物です。

 

 

碑は平成7年(1995年)に建立。

理美容の専修学校の理事長・校長であった

小野孝策らの尽力によるもので、

彼自身が撰文も手掛けています。

 

 

場所はこちらです。