右毘沙門道、勝山御殿跡 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

勝山御殿跡(勝山地区公園)です。

写真向かって左奥に碑があります。

 

 

「右毘沙門道」と書かれています。

 

 

 

勝山御殿跡の奥に四王司山への登山口があります。

 

四王司山には、193年、仲哀天皇が滞在する豊浦宮の

守護神が祀られたと言われています。

後、867年、長門国の国司が四王院を建立し、

朝廷より与えられた四天王像を祀ったと言われています。

 

現在、四王司山山頂にある四王司神社の祠には

毘沙門天像が安置されているそうで、

毎年1月の初寅の日には、

多くの参拝者が訪れることで知られています。

 

 

碑の場所はこちらです。

 

 

さて、ここからは勝山御殿跡のご紹介ですo(^▽^)o

 

 

勝山御殿は、1863年に着工した長府藩邸の名前で、

日本で最後の築城だとも言われています。

 

それまでの藩邸は、関門海峡沿いの

串崎城(櫛崎城)のふもとにあったのですが、

関門海峡で攘夷戦が繰り広げられた結果、

藩邸が当地にあっては危険ということになり、

建設されることになりました。

 

城は、領民の協力も得てわずか7箇月で完成。

翌1864年、藩主・毛利元周の入城となったそうです。

 

 

 

御殿跡を訪れたのは5月5日の子供の日でした。

ちょうど、菖蒲(多分)が咲いていました(^∇^)

 

石垣の石が、下の方が小さくて上の方が大きい構造になっており、

これは、全国的にも珍しいそうです。

 

 

 

この辺りから奥が本丸です。

「奥に石碑みたいなものがある!」と思ったら、

石のオブジェ(?)でした(^^ゞ

 

勝山御殿跡には、昭和35年(1960年)に

御殿跡であることを示した石碑が建てられたそうなのですが、

なくなってしまったようです。

 

 

 

御殿跡からの景色。

 

 

さて、勝山御殿跡には、ミツガシワという植物が自生しているそうです。

「氷河期の生き残り」と言われ、

温帯地帯では限られた場所にしか分布していない、

この地で見られるのが南限との説もある貴重な植物なのだそうです。

 

 

柵の向こう側に自生しているのですが……

 

 

先程の菖蒲のそばにもありました(^∇^)

 

 

 

そばを流れる砂子多川沿いにも

遊歩道が整備されていますp(^-^)q