川北神社の境内にある碑です。
「流芳」という篆額が記されています。
享保年間(1716年から1736年)のこと。
長府藩士・邨田(村田)重水と水川信久は、
当時の綾羅木村の田んぼが長雨の際に冠水するのを防ごうと、
灌漑用水路「鷹伏掛用水」の完成に尽力しました。
この碑はその功績を顕彰したもので、
邨田(村田)家が途絶えたことから、功績の風化を懸念して
明治2年(1869年)に建てられました。
篆額は長府藩最後の藩主であった毛利元敏、
碑文は水川信久の子孫で、川北神社の社号碑にも名を残す
長府藩士・水川正亮の手によるものです。
碑の横にあるのは「水神社」。
重水と信久を祀っているそうです。
碑の場所はこちらです。