加藤伴平 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

先日ご紹介した関門隧道建設の碑のすぐ斜め前にある、

加藤伴平の顕彰碑です。

 

 

先日もお話ししましたが、

関門国道トンネルが完成した昭和33年(1958年)、

内閣総理大臣は岸信介、建設大臣は根本龍太郎でした。

 

また、昭和27年(1952年)、工事が再開した時の

内閣総理大臣は吉田茂、建設大臣は野田卯一でした。

 

遡って昭和14年(1939年)、関門国道トンネルが着工。

内閣総理大臣は平沼騏一郎、

そして、当時は内務省が所管ですが、内務大臣は木戸幸一でした。

 

更に遡って昭和9年(1934年)、

昭和7年(1932年)から計画が具体化しつつあった

関門海峡間の道路建設について、

トンネル建設の調査が命じられます。

時の内閣総理大臣は岡田啓介、内務大臣は後藤文夫。

そして、調査を命じられたのが、内務省技師・加藤伴平でした。

 

なお、加藤が調査を命じられたのは、

岡田内閣の内閣書記官長(現在の内閣官房長官)が

吉田茂だった頃だと思われます。

その吉田が、「関門隧道」の文字を残している(車道門司側入口)のも

何かの縁なのかもしれません。

 

 

さて、加藤は、3年後の昭和12年(1932年)、

欧州で水底トンネルを調査。

昭和14年、関門国道建設事務所が設置されると、

その初代所長に就任します。

 

そして、世界初の海底国道トンネルの建設に

力を尽くすこととなるのです。

 

 

さて、この碑は昭和59年(1984年)建立。

加藤がその2年前に死去したことを受けてのものでした。

 

 

碑の側面には、

関門国道建設事務所第2代所長・富樫凱一の撰文による

碑文が記載されています。

 

その中に、昭和天皇の御製である歌が記されています。

 

「人の才を 集めて成りし 水底の

 道にこの世は いやさかゆかむ」

 

 

場所はこちらです。

 

 

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