関門隧道建設の碑 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に




関門トンネル人道入口(下関側)のそばにある碑です。



関門国道トンネルは、昭和14年(1939年)着工、

昭和19年(1944年)に導坑が貫通しましたが、

昭和20年(1945年)、戦災により一時工事休止、

そして、終戦を迎えるに至ります。


戦後、GHQの中には

「物資不足の日本には不適な工事。水没させるべき」

という風な意見もあったそうで、

維持工事を行うのみでしたが、

昭和27年(1952年)に工事が再開、

昭和33年(1958年)開通に至ります。


長さ3,461m、海底部780m。

世界初の海底国道トンネルでした。

トンネルの上が車道、下が人道となっています。



碑の書は当時の建設大臣・根本龍太郎によるものですが、

当時の内閣総理大臣は岸信介でした。

トンネル車道の下関側入口に記されている

「関門隧道」の文字は、岸の書によるものです。


ちなみに、門司側入口の文字は吉田茂の書。

工事再開時の内閣総理大臣が吉田だったからでしょう。



碑の場所はこちら です。