みもすそ川公園にある、「馬関開港百年紀念」の碑です。
元治元年(1864年)、下関戦争の講和の条件により、
下関港は事実上の開港を迎えました。
そして、100年後の昭和39年(1964年)、この碑の建立が決まり、
翌昭和40年(1965年)に建立されるに至りました。
碑の題字は、明治から昭和にかけて
裁判官、海軍法務局長、貴族院議員などを務め、
下関の実業界でも活躍した内田重成が揮毫し、
碑文は、当時の下関市長で、
参議院議員、医師、俳人としても活躍した
木下友敬が手掛けています。
場所はこちら です。
ちなみに、元治元年の講和会議において、
長州藩の責任者として、英・米・仏・蘭に対峙したのは、
家老・宍戸備前の養子・宍戸刑馬を名乗った高杉晋作でした。
この時、英・米・仏・蘭側は彦島の租借を求め、
それを晋作が拒否したと言われていますが、
これは長州側の通訳をした伊藤博文が後年述べたもので、
真偽のほどは定かではないようです。