御裳川碑 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

一昨日 お話しした「壇乃浦」と記されている碑の正体です(^∇^)




みもすそ川公園にある「御裳川碑」です。

現在はみもすそ川公園に設置されていますが、

元々この碑は、御裳川があったこの地に

建てられたものではありません。




側面には、例の文字「壇乃浦」の字が記されています。


「壇乃浦 東七丁」

「平家一杯水 東九丁」


一部文字が埋もれていますが、

「伊崎王城山 西一里」

「柳浦内裏 南二里」

と記されています。


つまり、元々は壇之浦よりも西に7丁(約760m)離れた場所に

建てられていたのです。

明治34年(1901年)に、赤間宮(赤間神宮)の境内に

建てられたのだそうです。

その後、数回の移転を経て、現在地に至るのだそうです。



「御裳川」の名は、

安徳天皇を抱いて壇之浦に入水した二位尼(二位の尼)が

この地に流れる小川を、伊勢神宮を流れる五十鈴川になぞらえ、

五十鈴川の別名「御裳濯川(みもすそがわ)」を用いた辞世の歌


「今ぞ知る みもすそ川の 御なかれ

 波の下にも みやこありとは」


を詠んだことに由来するという説や、

壇之浦の戦い後、遊女となった平家の女官たちが

この川で洗濯をすると汚れが良く落ちたが、

他の女性が洗濯をしても汚れが落ちなかったことが

由来だという説があるようです。





碑の近くに御裳橋があります。

現在、御裳川の河口は暗渠になっており、

地表に川はなくなりましたが、橋はかけられ続けています。



碑の場所はこちら です。