東京と福岡の「赤坂門」 | 鍋屋の大将の本音ブログ

東京と福岡の「赤坂門」

江戸城「赤坂門」と、福岡城「赤坂門」との関連です。

私の現住所は、「赤坂」のすぐ近くです。地名の由来は、福岡城の「赤坂門」があった場所だから。

一説によると、近くの丘陵が「赤土」だったから「赤坂」という地名や、門の名前になったとありますが・・・

今回の上京で、ソノ説に”異議”を唱えたくなりました。見学したのは、江戸城赤坂見附の「赤坂門跡」です。



櫓は失われていますが、巨石を組み合わせた石垣は往時の桝形門の立派さを忍ばせるのに十分です。



何と築造は、黒田二代目藩主「忠之」だったんです!



江戸城西側の外堀に位置する要の門です。非常な難工事だったらしく、弁慶濠に橋は架けられませんでした。

赤坂見附門は、寛永13年(1636)筑前国福岡藩主の黒田忠之が枡形石垣を築いた。赤坂門は、地盤の軟弱な低地を避けた高台に置いた。そのため南の溜池と弁慶濠との水位差を保つための土橋の版築は難工事となる。寛永16年(1639)御普請奉行の加藤正直、小川安則に引き継がれ赤坂門は完成した。しかし、難工事により枡形門に付属すべき橋(現弁慶橋)は架けることはできなかった。〈資料参照〉

普請を命じられたものの、完成させることが出来なかった忠之の”無念”さはいかばかりだったでしょうね。

その思いが、福岡城東側の要の門に「赤坂門」という名前を付けた理由ではないかと想像するのですが・・・



福岡城完成は1608年。でも、その「赤坂門」がいつ完成したかは不明なので、ひょっとしたらホントかも?



まさに、歴史のロマン??(汗)