いつになく早い桜の開花になりそうで、今からワクワクと待ちわびています。
先日新聞で読者の投稿欄を読んでいて、私もこの投稿者と全く同じ思いをした事を、鮮やかに思い出しました。
お寿司の話でした。
昭和中期、私がまだ小学校低学年辺り?
たまにではありますが、父の同僚が夜中に飲みに来たり、酔っぱらいながら一緒に連れ立って帰って来たりすることがありました。
茶の間に車座になって、騒いで歌ったり、議論?したり・・・
でも本当にたま~になのですが、お寿司などをお土産に持って帰って来る事がありました。
それが父親だったり、友人だったり。
今どきふらふらと酔っぱらって帰ってきたからといって、お土産にお寿司をぶら下げて帰って来るなんて、まるでサザエさんに出てくる浪平さんやマスオさんの漫画みたいです。
当時のお寿司といえば、それはそれは高価なもので、今のように簡単には食べられないし、何よりも回転寿司なんてある訳ないし、お店自体がそうそう無かった時代です。
父が大のお寿司好きであっても、本当に特別な時にしか食べられない代物でした。
そういう時代ですから、お土産にお寿司を買ってくるとなると、本当の所は大騒ぎの出来事なのです、が、よりによって深い眠りに落ちた時のこと。
眠っている私たち子どもを揺り起こし、
「寿司だぞ!寿司を買ってきたぞ!」
「ほら、食べろ、美味しいぞ!」
三姉妹、ふらふらになりながら起きていき、並んで正座し、でも頭はボ~~とし、半分寝ている状態・・・
ぼやんとした頭で、眠い目をこすりながら見たお寿司は確かに華やかで美しい。
でも、食べたいという気持ちはわかず、ただ寝たい。
これが日中であれば、人のものを奪い合いながらの争奪戦になっていた事は間違いない状況。
しかし子供の睡魔は、食欲に完全に勝っていました。
力の入らない手で箸を持ち、こぼれ落ちながらもなんとか口に持っていくも、味もそっけもなく、咀嚼する気力もなく、もうこれは体罰に近いものがあります。
「許してくださいお父さん、眠いです。寝させてください!」
と心の中で叫んでいました。
そんな子供心に全く気が付かず、父親の愛を振り撒いているつもりです
ああ・・しっかり目覚めている時に食べたかった~
そんな父親が年を取ってから、
「死ぬ前にたらふく寿司を食べてから死にたい」
と言うようになりました。
そんな父が亡くなる1年ほど前の事でしょうか、夫と一緒に父を回転寿司に連れて行きました。
私たちよりもたくさん食べて、
「うん、美味かった~」(眠たくなくて良かったね)
と満足そうな顔をしていたのを思い出します。
私は最後の晩餐には、何を食べたくなるのでしょうか?やっぱりお寿司なのかな~